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水戸地方裁判所下妻支部 平成元年(わ)329号 判決 1994年7月06日

主文

被告人Aを死刑に、被告人Bを懲役一二年に処する。

被告人Bに対し、未決勾留日数中一三〇〇日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯等)

被告人Aは、建設業を営む家庭の長男として出生したが、A家にとつては、「最初の男の子」、「初孫」であつたところから、両親や父方、母方の祖父母から奪い合うようにして溺愛され、欲しいものは何でも買い与えられるといつた、何不足ない環境のもとで我がままいつぱいに養育され、成長した。そのため、同被告人は早くから、金さえあれば何でも買える、といつた感覚を根強く身に付けるに至つた。そして、このような状況のもとで、地元の小、中学校を卒業し、高校にまで進んだが、学習意欲がなく怠学等が続き、結局一年で退学となつた。また、このころから非行も始まり、昭和六一年七月には窃盗等の非行で中等少年院送致の決定を受け、多摩少年院に入院した。その上、集団脱走を図つたことが発覚したことから、更に久里浜少年院に送られる羽目ともなり、同六二年一二月に至つて漸くにして退院した。

一方、被告人Bは、印刷会社に勤める家庭の二男として出生し、川越市内の小、中学校を卒業して職に就いてたが定着できず、職場を転々とするうち窃盗等の非行を重ねるようになり、昭和六一年一二月には中等少年院送致の決定を受け、多摩少年院に入院した。そして、関東医療少年院を経て、同六二年一一月に仮退院したものの、その後も相変わらず職場に定着できず、本件当時は無為徒食の状態にあつた。

以上のように、被告人両名は、短期間ではあつたが、同時期に多摩少年院に在院し、知り合つたものであり、同じ新聞係に属していたこともあつて、院内では親しく付き合つていた。しかし、退院後は全く付き合いはなかつた。

ところで、被告人Aは、退院後も相変わらず素行は修まらず、真面目に仕事をしようともせず、母親から多額の小遣いをせびつては女友達との遊興費にこれを消費していた。そして、昭和六三年一二月ころ親にせがんで高級車トヨタ・クラウンを買つて貰つてからは、一層これが激しくなり、その出費も月々三〇万円にも達していた。

このようにして、遊興に明け暮れる日々を送るうち、平成元年六月ころには、被告人Aもクラウンに飽きが来、更に他の高級車日産シーマが欲しくなり、これを購入したいなどと考え、そのための資金が必要となつた。また、そのころたまたま再会して交際が復活していた女性との遊興、飲食等にも多額の現金が必要となつていた。

そこで、同被告人は、これらの資金に当てるため、大金を捻出すべく腐心していたが、七月ころに至り、右クラウンにかけてある車両保険に着目し、これに放火して保険金を騙し取ろうと思い立つた。そして、中学校の同級生であつたCにこの話を持ちかけ、これを実行してくれそうな人物に当たるなどしてみたが、結局は引き受け手がなく、後記第一の犯行の前ころには、自らクラウンに放火した上、あたかも右Cが放火したかのように装い、Cについてはこれを殺害してその死体を隠し、一方では保険会社から保険金を騙し取るとともに、他方でCの母親から弁償金の名目で大金を脅し取ろうと考えるに至つた。このような経過を辿つて、後記第一ないし第四の犯行に及んだ。

その後、後記第三のとおり、Cの母親から大金を脅し取ることに失敗したことから、今度は、その親が地位も名誉もあり、資産もあつて、息子のために大金を出すことがより確実視される同級生を選び、Cの場合と同様、その同級生を殺害して死体を隠した上、その者がCに命じて車両に放火させた人物であるとして、その親から大金を脅し取ろうと考えた。そして、その標的に、小、中学校の同級生であつたDを選んで計画を練り、更にこれを確実に実行するために、前記の被告人Bの手を借りようと考え、九月五、六日ころ、同被告人に電話で、「自分のクラウンに放火した奴をさらい、金を取るので手伝つてくれ。」と持ちかけ、更に、同月一一日ころ、「放火した奴はDだ。そいつをさらい、始末して見つからないように埋め、その親から金を脅し取るので手伝つて欲しい。報酬として八〇万円をやる。」旨、重ねて持ちかけ、そのころ同被告人の承諾を得、共謀の上、後記の第五、第六の犯行に及び、更に単独で第七、第八の犯行に及んだ。

(犯罪事実)

第一  被告人Aは、C(当時二一歳)を殺害しようと企て、平成元年八月九日午前一時半過ぎころ、茨城県岩井市大字《番地略》所在の残土ストック置場において、刃体の長さ約一八・五センチメートルの所携の出刃包丁(平成二年押第一一号の2)を用いて、右Cの顔面に切り付け、後頚部を切断するなどし、よつて、そのころ同所において、同人を上部頚髄完全離断と左右頚動脈切断による出血により死亡させた。

第二  被告人Aは、前記日時場所において、右Cの死体に土砂をかぶせて隠蔽した上、更に同日午前五時三〇分ころ、パワーシャベルを用いてその死体に土砂をかけて埋没させ、もつて死体を遺棄した。

第三  被告人Aは、同日午前六時ころ、同市大字《番地略》所在の右Cの母E子(当時五四歳)方において、同女に対し、「Cが俺の車を盗んで、燃やしたんだ。レンタカーを借りるから金を出してくれ。」などと言つて要求し、以後、同月一五日ころまでの間、約一〇回にわたり、同女方において直接あるいは電話で、同女に対し、「金を出してくれないとCのことを近所の人にバラしちやうから。燃やされた車の中には、二〇〇万円くらいの金や十数万円のネックレスなども入つていた。おばさんのところは畑があるんだつてな。そういうのを売らなきや金ないよな。払わなければ裁判をやる。Cのことを近所に言い触らしてやる。」などと執拗に言つて脅迫し、更に、その間、同女が容易に金員を払わないとみるや、後輩のF、G、Hらをして、同月一二日午後二時三〇分過ぎころから翌一三日午後一〇時五〇分ころまでの間、五回にわたり同女方に電話を掛けさせ、前記自動車に放火したCには仲間がおり、Cの犯行が露見したため、その仲間が、Cを拉致した上同女が被告人に金員を支払つて示談にすることを望んでいるかのように装い、同女に対し、「Cが車を燃やしちやつたんだから、五〇〇万円出せ。五日以内に相手の家とも示談しろ。五〇〇万円出さない時にはCを殺して海に浮かしちやうぞ。金を出せばCも帰れる。」、「Cは足に怪我している。」、「早く示談しろ。五〇〇万円用意しろ。金を用意しないと命が危ない。家を燃やすぞ。」、「土地を担保にして五〇〇万円借りろ。一七日までに示談しないと家を燃やすぞ。」などと言わせ、示談金の名目で金員を要求し、その要求に応じないときには、前記C及びE子の生命・身体・財産等に害を加えるべき旨を通告して脅迫し、金員を脅し取ろうとしたが、同女がこれに応じなかつたため、その目的を遂げなかつた。

第四  被告人Aは、昭和六三年一二月一日、自己名義で普通乗用自動車(トヨタクラウン・土浦〇〇す〇〇〇〇)を割賦購入した際、東京海上火災保険会社との間に車両保険金四八〇万円・臨時費用保険金一〇万円の自家用自動車総合保険契約を締結していたことを奇貨として、右保険金を騙し取ろうと企て、平成元年八月九日午前一時半ころ、同市大字辺田一五六六番地付近農道上において、右自動車にガソリンを撒いた上所携のライターを使用して自ら火を放つて全焼させた上、その事実を秘し、あたかもCが右自動車を窃取後全焼させたもののように装い、同日、茨城県境警察署に対し右自動車の盗難被害届及び火災届を提出するとともに、同県土浦市《番地略》所在の同社茨城支店土浦損害課係員I子に対し、「Cにクラウンを盗まれ、燃やされた。」旨虚偽の申告をし、同月二二日、同保険契約に基づく保険金支払請求をなし、同損害課課長J及びその上司で保険金支払決定権を有する同社茨城支店支店長Kらをしてそのように信用させ、よつて、同月二九日、同社から同県岩井市大字岩井四四六〇番地の二つくば銀行岩井支店に開設されている同被告人名義の普通預金口座に四九〇万円を振込み送金させ、もつて、同額相当の財産上不法の利益を得た。

第五  被告人A及び同Bは、共謀の上、平成元年九月一三日午前四時一〇分ころ、同県岩井市《番地略》L方において、被告人Bが就寝中のD(当時二一歳)に対し、「おい、起きろ。俺は甲野連合の者だ。表に仲間が待つているから、ちよつと付き合え。」などと語気鋭く申し向け、その意向に従わなければ、同人の身体に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、同人を寝間着姿のまま屋外へ連れ出し、同所に待機していた被告人A運転の普通乗用自動車に乗車させた上、同車内において、同人の両手、両足をガムテープで縛り上げ、所携のナイフを突き付けるなどの暴行、脅迫を加えつつ、同人を乗せたまま右自動車を同市大字《番地略》所在の広場まで走行させ、同日午前五時三〇分ころまでの間、同人を同車内から脱出不能の状態とし、もつて同人を不法に監禁した。

第六  被告人A及び同Bは、右Dを殺害しようと企て、共謀の上、同日午前五時四〇分ころ、同市大字《番地略》所在の広場に停車中の普通乗用自動車内において、同人をシートに縛り付けた上、被告人Aが同人の頚部を両手で絞めつけ、被告人Bが足などを押さえつけるなどし、そのころ同所において、同人を頚部圧迫により窒息死させた。

第七  被告人Aは、同日午前五時五五分ころ、右Dの死体をマット等で包み、針金で縛るなどした上、同市大字弓田一五〇六番地所在の岩井市一般廃棄物処理場弓田埋立地に投棄し、もつて死体を遺棄した。

第八  被告人Aは、Dに作成させた、「自動車が燃えたのは、自分が他の者に指示して放火させたものであり、かつ、自分は右自動車内から現金二〇〇万円を盗んだので、一か月以内にその弁償するから、警察等に話さないで貰いたい。」旨の「誓約書」(前同押号の9はそのコピー)を用いて、同人の父親L(当時四七歳)らから弁償金の名目で金員を脅し取ろうと企て、同日午前一一時四〇分ころ同市大字《番地略》所在の同人方において、同人及びその妻M子(当時四五歳)に対し、右「誓約書」を示しつつ、「この誓約書を警察に持つて行けば、Dは六、七年はぶち込まれるだろう。弁護士もそう言つている。俺も警察に世話になつたことがあるけど、そのときは俺の家も大分仕事が減つた。Lさんだつて市役所へ行つているんだし、これがおおつぴらになつたら市役所を辞めなくちやいけねえからな。」などと脅し付け、更に同月一四日正午ころ、右L方へ電話を掛けて同人に対し、「Dには妹と弟がいるんだろう。俺も警察の世話になつて妹は高校を中退しちやつた。このことが世間に知れると市役所を辞めなくちやならないな。Dだつて今ぶち込まれたら六、七年は入つていることになる。そうすると妹も弟も俺の家と同じようになり、家の中がめちやめちやになつちやうべ。」などと脅し付けた上、同日午後二時ころ及び同日午後七時五五分ころの二回にわたり、同人方において、同人らに対し、「燃えた車の中に高価な時計や指輪、現金が入つていた。」と言い、「明細書」を示して、弁償金の名目で八七四万円を支払うよう要求し、その要求に応じないときには、前記D、同L、同M子らの身体、自由、名誉に害を加えるべき旨を通告して脅迫し、金員を脅し取ろうとしたが、右Lらがこれに応じなかつたためその目的を遂げなかつた。

(証拠)《略》

(争点についての判断)

被告人らは、捜査段階の比較的早い時期から、本件各犯行について具体的かつ詳細な自白をしているところ、公判段階において、殺人、死体遺棄、詐欺の各事実(以下の説明において、被告人Bに関する部分はDに対する殺人の事実のみである。)についての自白を撤回し、(1)C、Dらを殺害し、その死体を残土ストック置場に埋没させたり、弓田埋立地に投棄した(殺人、死体遺棄の公訴事実)のは、少年院で一緒だつたNの仲間の男達(以下単に「男達」という。)であり、自分ではない、また普通乗用自動車トヨタ・クラウン(以下単に「クラウン」という。)にガソリンを撒いて放火し、これを全焼させた(詐欺の公訴事実)のも同じ「男達」であるから、自分の保険金の受領は正当な権限に基づくものであり、詐欺罪には当たらない(被告人Aの公判供述)、(2)被告人Aと二人でDをガムテープなどで緊縛した後、同被告人がBを親分さん(「男達」のこと)に引き渡すと言つて車に乗せて連れて行つたが、その後Dがどうなつたかは分からない、自分はDの殺害に関係していない(被告人Bの公判供述)、(3)右各犯行を認めた自白調書(被告人ら作成の上申書を含む。以下同じ。)は、取調官の暴行ないしは脅迫等により虚偽の自白を強いられた結果作成されたものである(被告人両名の各公判供述)旨弁解するに至り、弁護人らも、被告人らの右弁解に則り、本件の各殺人、死体遺棄、クラウンの放火の犯人は、前記の「男達」であるとし、被告人らの右自白の任意性、信用性には疑問があり、前記の公訴事実について、被告人らはいずれも無罪である旨主張している。

そこで、これらの弁解、主張にかんがみ、以下、被告人らの自白の任意性、信用性、弁解の当否等について検討することとする。

第一  被告人らの自白の任意性

一  被告人Aの自白について

関係証拠によると、おおむね次のような諸事実、すなわち、

(1) 平成元年八月九日から被害者Cが、同年九月一三日から同Dが相次いで所在不明となり、その親達からそれぞれ茨城県境署にその捜索願いが出されていたところ、同署は、届出等により、右Cらが所在不明となつた直後から、被告人Aが右Cらに自分のクラウンを燃やされたと言つてその親達を脅迫し、多額の弁償金の支払を求めていた事実を知つたこと

(2) そこで、同署は、右Cらの所在捜査を継続する一方、被告人Aの身辺捜査を開始したこと

(3) その結果、同署は、同被告人がC、Dの所在を知つている可能性が非常に高いと判断し、同年一〇月一二日同被告人に同署への出頭を求め、ここに同被告人に対する事情聴取、取調べが開始されることになつたこと

(4) 当日は、茨城県捜査一課所属のO、同P両刑事担当のもとに、午前八時半ころからCの失踪に関し、同被告人の八月八日の行動及びクラウンを燃やされた件、更にはDの失踪の件などについて、順次事情聴取が行われたが、同被告人の供述するところは、その内容が一貫せず、二転三転し、矛盾点をつかれると黙秘して全く語らないという状況であつたため、事情聴取も思うに任せず、これが午後の一一時半ころから一二時ころまでに及んだこと

(5) なお、同被告人は、失踪の件については頑強に知らないと述べ、クラウンを燃やされた件については、先に消防署員や警察官に説明したような事実、すなわち、当夜女性から呼び出されて岩井市内所在の国王神社へ行き、車から離れていた隙に誰かにこれを盗まれたこと、そして、その直後にCが右クラウンを運転しているところを見かけていたところから、後で同人を捕まえ問い質したところ、同人は市内辺田の農道にクラウンを置いてきたと言うので、そこに行つてみたところ、これが燃やされていたというような事実を述べたこと

(6) 翌一三日も、前日に引き続き同被告人に出頭を求め、解明されなかつた矛盾点などについて事情聴取が行われたが、この日は前日に比べ、同被告人の応答に反抗的な態度は少なくなり、午後の一〇時ないし一一時ころには、同被告人が二〇〇万円を出して、C、B外一名で東京都内のアパートにDを監禁させているなどと言い出したこと

(7) そこで、取調官において、右供述がでたらめとばかりも思われなかつたところから上司に報告した上、D救出を優先させ、翌一四日午前零時ころ同被告人の案内により警察車両数台、警察官十数名で境署を出発し、東京方面に向かつたこと

(8) しかし、足立区内に入つてから、同被告人がアパートがどこにあるか分からないと言い出したため、結局救出を断念し、同日午前四時半過ぎころ境署に戻つたこと

(9) そして、その直後の午前四時五〇分ころ、既に前日発付されていたLに対する恐喝未遂の被疑事実による逮捕状に基づき、同被告人を逮捕し、そのころ同署の留置場に留置したこと

(10) その後、同日午後一時三〇分ころ、右恐喝未遂の事実について検察官送致の手続がとられ、次いで勾留の請求がなされ、勾留状の発付を得た上、午後五時ころ同被告人を境署の留置場に勾留したこと

(11) 夕食後は、午後六時五〇分ころから、右恐喝未遂被疑事件の捜査の一環として、Dの所在について同被告人を取調べていたところ、このころから同被告人の態度が変わり、終始うつむき加減となり、それからほどなくして急に泣き出し、実はDやCを殺して捨ててしまつたと言い出したこと

(12) そこで、取調官のPらは、突然のことに驚きながらも、急遽、同被告人に二人を殺して捨てたというその場所について図面を作成させるとともに、その犯行の手段、方法等を上申書に書くよう求めたところ、同被告人は、(ア)九月一三日被告人Bと二人でDを連れ出して車に乗せ、ガムテープで手足を縛り、首を絞めて殺し、その後死体をビニールとマットでくるんで針金で縛り、ごみ捨て場に捨てたこと、(イ)八月九日残土ストック置場でCの腹をナイフで刺し、首を手で絞めて殺し、その場に埋めたこと、(ウ)遊び金欲しさから二人を殺し、その親から、車を燃やしたと言つて金を脅し取ろうとしたこと、(エ)被告人Bと二人で、Dを殺すのに使うガムテープやナイフ等をセブンイレブンで買つたこと、などを内容とする上申書四通(乙89ないし乙92)を作成したこと

(13) そして、そのあと、取調官において、D殺害を自供するに至つた理由や、その殺害の経緯、状況、更にCを殺害した状況などを述べた被告人Aの同日付の供述調書一通(乙94)を作成し、午後一一時ころ、この日の取調べを終えたこと

(14) なお、被告人Aは、翌一五日には、Cを殺害しようと思つて自宅から出刃包丁を持ち出した旨及び後でこれを犯行現場近くの雑木林の中に捨てた旨記載した上申書(乙93)を作成したこと

(15) また、同日の午後一時三〇分ころDの遺体が、翌一六日の午後零時四五分ころCの遺体が、それぞれ同被告人の指示した場所から発見されたこと

(16) 同被告人に対する取調べはその後も続けられ、犯行の動機、経緯、犯行状況等についての詳細な調書が多数作成されたが、同被告人は、細部の点についてはともかく、大筋においてはその後も一貫してこれを認め、前記の自白を維持したこと

(17) もつとも、D事件で起訴された翌日の一一月六日ころ、D、Cの二人を殺害したのはNの仲間の「男達」であつて、自分ではない旨否認したこともあつたが、翌七日には親や妹に迷惑がかかるところから嘘を言つた旨述べて前日の否認を撤回したこと

(18) 検察官による取調べも、検察官が具体的に事実関係を質した上、これを立会事務官に口述して調書を作成しており、警察段階での自白をそのまま押し付けたりしたことはなく、その取調べの過程、状況等に別段問題とされるような点は窺われないこと(因みに、照会事項回答書(甲349)添付の留置人出入簿の抄本の記載によると、検察官調書が作成された日は、それぞれ、同被告人において、検察官による取調べのために留置場から長時間にわたつて出場していたことが認められる。これらの事実は上記事実の真実性を強く裏付けるものといえる。)

(19) 同被告人の身柄拘束中、取調べが午後一一時以降に及んだのは、一〇月一四日(午後一一時五分留置場入場)、同月二五日(午後一一時一五分留置場入場)及び一一月一一日(午後一一時四〇分留置場入場)の三日間だけであり、それ以外の日はすべて午後一一時より前に終了していること

(20) 以上の取調べを通じ、取調官からの黙秘権、弁護人選任権の告知、調書の読み聞け、署名指印等、所定の手続はすべて適法に行われ、取調官において、同被告人の体に机をぶつけたり、蹴つたりつねつたりなどの暴行に及んだことはもとより、脅迫、利益誘導等にわたるような言動に及んだ証拠も全く窺われないこと

(21) なお、同被告人は、(ア)一〇月一六日午後四時二〇分Dに対する殺人、死体遺棄の事実で逮捕され、翌一七日午後五時境署留置場に勾留され、(イ)一一月五日午後四時五五分Cに対する殺人、死体遺棄、E子に対する恐喝未遂の事実で逮捕され、同月八日午前一一時右留置場に勾留されたことが認められる。

ところで、被告人Aは、これら一連の事情聴取、取調べの経過、状況について、公判廷において要旨次のとおり供述している。

(1) 一〇月一二日任意出頭した当初から、取調官のP、Oから、「二人はどこにいるんだ。」「どこへ殺して埋めてあるんだ。」と言つて繰り返し詰問され、これに対し、自分は「知らない。」と、ずつと言い通した。その日、席を立つて帰ろうとしたことが何回かあつたが、その都度Pからドアの方に足を出して遮られ、手を引つ張つて、「まあ、座つていろ。」と言い、椅子に押し付けられた。

(2) 翌日の夕方、Pから恐喝未遂の逮捕状が出ていると言われた。その逮捕状は見せてくれず、「これを見せたらQも逮捕されるぞ。」「Qを逮捕されたくなかつたら、二人のいる所を言え。」と言われた。そのうち、Pらが怒り出し、「二人はどこにいるんだ。」と言つてPが机を私にぶつけ、Oも私の腕をつねつたり、足首を蹴飛ばしたりしてきた。それでも「知らない。」と言つた。このようなことをずつとやられた。「お前が殺しているのは分かつている。」とも言われた。このように、頭から人殺し呼ばわりされ、Qを逮捕すると言われ、机を押し付けたり、腕をつねつたりなどされ、我慢の限界だつたので、「東京にいる。」と嘘を言つたところ、Pから、嘘でもいいから「地図を書け。」「案内しろ。」と言われ、腕を抱えて車に乗せられ、東京都内まで案内させられた。

(3) 一〇月一五日早朝、恐喝未遂で逮捕されたが、その後も、「二人はどこにいるんだ。」「知らない。」という問答の繰り返しで、前日と同じように机をぶつけられたり、腕をつねられたり、足を蹴られたりした。

(4) 夕方、検察庁から境署に戻つたところ、Pから、「隣にはBがいる。」と言われ、ドキッとした。自分は名前を出していないのに、どうしてB君のことが分かつたのかと、そればかり考えていた。その後更に、「Bはお前と二人でDを殺したと言つている。」「二人はどこにいるんだ。」などと言われ、前同様二人の刑事から机を押し付けられたり、つねる、蹴るの暴行を繰り返された。「違つていれば、裁判の時言えばいいんだ。」とも言われた。そこで、Bが二人で殺したと言つていると言うし、このままでは犯人にされてしまうと思い、やつたのは自分ではないと言つたところ、Pが、それではやつたのは誰なんだと言うので、Nの仲間の「男達」がやつたんだと言つて、同人がCを殺害した時の状況をも含めて、Dを連れ出し相手に渡した時の様子、事件になつたきつかけ、原因など、「意見書の補充」と題する書面(以下、単に「補充書」という。)に記載したとおり、偽装の交通事故を起こし、その分け前の分配のもつれから、こういうことになつたと全部正直に話した。そして、自分はやつてはいないと言つた。しかし、また、机を押し付けられたり、つねられたりし、頭に来てしまい、求められるまま、自分がCを殺害したという調書に署名した。内容は読み聞かせて貰つたわけではなく、よく分からない。

(5) 殺人の方はやつていないので余り気にしなかつたが、誘拐の方が怖かつた。Pは誘拐は勘弁するから殺人だけ一旦認めろ、悪いようにはしないから一旦認めておけ、情状がよくなるようにしてやると言つた。こんなでたらめな調書に署名できないと言つたら、公務執行妨害になると言われた。罪がどんどんふえていき、嫌だと思い、署名だけした。調書は一回も読んで貰つていない。この日は大体夜中の一二時二〇分ころまで調べがあつた。警察庁、裁判所では警察の調書と同じようなことを言わないと、裁判の時不利になると言われた。

(6) 「補充書」の内容の大筋は、一〇月一四日ころからPらに話した。同級生のRから、同級生がどんどん警察に呼ばれて共犯扱いされ、このままでは犯人にされてしまうので、同人らがAを殺人犯にでつち上げちやえと相談しているということを聞かされたこと、警察がAは人を殺しているんだと皆んなに言つていたこと、死体をごみ捨て場に捨てたんじやないかとの噂が市内に流れ、死体が上がるのは時間の問題であつたことなどから、「男達」のことや、死体のある場所を言わなければならないと思い、話すようになつた。

(7) 自分がDを殺したという内容の供述をし始めたのは、一〇月一五日からで、友達が逮捕されたりすると、友達はAがやつたと言うだろうし、そうなつたら、自分一人じやもうどうしようもなくなつてしまうと思つたので認めておくしかないと思つたことからである。

(8) 警察での取調べは、一〇月二五日ころまでは午後一二時ちよつと過ぎころまで、その後一〇月末ころまでは同一一時か一一時半ころまで、一一月に入つてからは同一〇時か一一時ころまで続いた。

(9) 取調官からは黙秘権の告知はなく、弁護人選任権の告知も、逮捕されて取調べが続いていたころはなかつた。警察では調書の読み聞けも全然なかつた。

(10) 警察官の取調べは二、三分あるいは一〇分くらい聞く程度で、毎回既に書いてあるメモのようなものを見ながら警察事務官に記載させていた。

しかしながら、以上の公判供述には、それ自体相互に矛盾していて一貫しない部分や客観的事実に反する部分、言い逃れとしか言いようのない部分などが多く、不自然、不合理なものであるばかりではなく(なお、後述のように、その供述のよりどころとする「補充書」記載の内容自体到底信用に値しないものである。)、前記のP、Oらの各証言、その他の関係証拠に照らし、たやすく信用できず、所詮は思い付きの弁解を場当たり的に述べるものと評するほかはない。とりわけ、

(1)ないし(4)の暴行等の点については、取調官において、被告人Aの言動、態度から同被告人を手こずるタイプの人間と判断し、このようなタイプの者に対し強引な取調べはかえつて反感を買い、往々にして自供を得るのを長引かせてしまうことが多いところから、当初から説得をもつてするのが一番と考え、そのような態度で慎重に同被告人からの事情聴取、事実の取調べに当たつていたことが窺われるのであつて、同被告人の言うような執ような行為、すなわち無理やり同被告人の手を引つ張つて椅子に押し付けたり、机をぶつけたり、つねつたり蹴つたりするなどの暴行や、脅迫ないし利益誘導(なお、取調べ期間に、ジュース類等が供されたとの事実も、状況的に未だ自白の任意性に影響を及ぼすような事情とは到底認められない。)等の行為が行われたとは考えがたく、右同被告人の誇張、歪曲した弁解というほかはない。

(2)の嘘でもいいから案内しろと言われ、東京都内まで警察官を案内した(実際、十数名の警察官が数台の警察車両に分乗し、深夜同被告人の案内で都内足立区まで行つている。)とのくだりに至つては、まさに捜査の実情を知らないが故に陥つた弁解で、自らその虚偽であることを認めたものというほかはない。

(4)の、自分は名前を出していないのに、どうしてB君のことが分かつたのかと思つた旨、まことしやかに述べている点も、そもそもその前日同被告人自らBの名を挙げ、Dを都内のアパートに監禁させている旨述べたことから、被告人Bの割り出しが行われ、同被告人が任意同行を求められるに至つたものであつて、右弁解が後から考え出されたものであることは明らかであり、まことに見え透いた弁解というほかはない。

(4)と(6)とでは、被告人Aが、Cらを殺害した犯人であると主張する「男達」を持ち出すきつかけとなつた事情が明らかに異なつており、矛盾した弁解となつている。まさに、場当たり的な弁解というほかはない。

(5)の「殺人の方はやつていないので余り気にしなかつたが、誘拐の方が怖かつた。」との弁解についても、同被告人は、一方で、「殺人犯にされてしまう。」と思い、「男達」がやつたんだと言つて、「補充書」記載のとおり全部正直に話した旨(前記(4)及び(6))述べているのであつて、矛盾、齟齬も甚だしく、同被告人のなり振り構わぬ、その場限りの弁解と見るほかなく、「誘拐は勘弁する。」云々以下の弁解とともに、到底信用できるものではない。

(6)の「補充書」の内容の大筋は一〇月一四日ころからPらに話したという弁解については、捜査の緒に就いたばかりのこの時期において、仮にも被告人Aにおいてこのような供述がなされたのであれば、事案が事案でもあることから、当然のことながら、捜査員を投入するなどして裏付け捜査が行われることは必至であつて、これが捜査の常道というべきところ、本件においては、そのような捜査は全く行われていない。ここにも、捜査の実情を知らないが故に陥つた虚偽の弁解が認められるのであり、このことは、取りも直さず同被告人の主張するような「補充書」記載の詳細な筋立てが、本件の捜査がすべて終了した後の段階に至つて初めて構成されたものであることを物語つている。

(7)において同被告人が述べるところも、何ら虚偽の自白をしたことの理由となるものではない。友達が「Aがやつた。」と言い出したら、どうしようもないというのであれば、同被告人としては、「認めておく」のではなく、逆に徹底的に「否認しておく」のが筋である。このような自白が同被告人を取り返しのつかない窮地に追い込むものであることは火を見るより明らかであつて、所詮は理由付けに窮した挙句の弁解というほかはない。

(8)の取調べの終了時間の点については、身柄拘束中の取調べのうち、午後一一時以降に及んだ日が三日間のみであり、それ以外の日はすべて午後一一時より前に終了していることは、前記のとおりであつて、この点の同被告人の弁解も誇張に過ぎ、採ることができない。

(9)の黙秘権の告知等の手続や、(10)の検察官の取調べについても、P、O、S、Tらの各証言のほか、同被告人の各弁解録取書、前記の留置人出入簿の抄本、その他の関係証拠に照らし、適法に行われたことが認められ、この点に関する同被告人の弁解も到底採用することができない。

なお、弁護人らは、以上とほぼ同旨の主張をしているほか、上申書の作成に関してその日付を遡らせたり、作成日の異なる図面を添付したりしているとし、また、調書間の供述記載に主要な部分で食い違いがあるとし、その任意性ないし信用性を争つているが、これらの点は後記の自白の信用性についての判断の項において検討することとする。

以上のとおりで、前記認定の(1)ないし(21)の警察、検察庁での取調べ状況、取調べの時間、自白するに至つた経緯、経過、時期、供述の内容、その一貫性、その他の諸事実を総合すると、各殺人、死体遺棄、恐喝未遂、詐欺等の事実を認めた被告人Aの自白に、暴行、脅迫、その他任意性に疑いを差し挟むべき事由は全く存しないといわなければならない。

二  被告人Bの自白について

関係証拠によると、被告人Bについても、おおむね次のような諸事実、すなわち、

(1) 前述のように、被告人Aを取調べていた際、同被告人からBなる者らにDを監禁させている旨の供述が得られたところから、境署は、一〇月一四日、右Bなる者がDの失踪事件に何らか関係している可能性があると判断し、その人定事項を割り出した上、捜査員を派遣し、右Bなる者、すなわち被告人Bを境署まで任意同行したこと

(2) そして、同日午後四時過ぎころから、茨城県警捜査一課所属のU、同Vの両刑事が同被告人に対し事情聴取を開始し、被告人AやDとの関係等について尋ねたところ、被告人Bは、当初、知らないと述べていたが、その後徐々に被告人Aらとの関係について供述し始め、約二時間ほどして、涙を流しながら、被告人Aと共にDを逮捕、監禁した旨述べるに至つたこと

(3) そこで、Uらは、更に取調べを進め、翌一五日に至つて、被告人Aから八〇万円をやるから手伝つてくれと言われて承諾し、犯行当夜同被告人と二人でDを自宅から連れ出し、ワゴン車に乗せて監禁した上、ガムテープ、ロープ等でDを緊縛したことなどを被告人Bにおいて概括的に認めた、同日付(ただし、調書作成終了時)の供述調書一通(乙79)を作成するとともに、同日午前一時一〇分ころ、逮捕監禁の事実で被告人Bを緊急逮捕したこと

(4) 右逮捕後は、Uらは、被告人Bの留置先である茨城県下妻署において、午前一一時二〇分ころから、同被告人の取調べを開始したが、上司から逮捕監禁の事実を固めるように指示があつたところから、終日右事実について取調べをし、この日は午後一〇時半ころこれを終えたこと

(5) 翌一六日午前九時ころ、逮捕監禁の事実について検察官送致の手続がとられ、引き続いて勾留の請求がなされ、勾留状の発付を得て同日午後零時二〇分ころ被告人Bを下妻署の留置場に勾留したこと

(6) そして、午後三時ころから取調べに入り、Dが所在不明になつていることについて事実を話すよう説得しながら取調べていたところ、午後四時ころになつて、同被告人がD殺害の事実を認めるに至つたこと

(7) しかし、その直後は、泣いていて話にならず、詳細について同被告人から聴取できる状態ではなかつたため、その場はひとまず同被告人が断片的に述べるところを聴くにとどめたこと

(8) 夕食後は午後七時半ころから取調べが再開されたが、その際、同被告人は、被告人AがDの首を絞め、自分が暴れる同人の足を押さえつけてこれを殺害した経過、状況等を記載した上申書一通(乙80)を作成して提出し、午後九時五五分ころ、この日の取調べを終えたこと

(9) 翌一七日午後四時一分ころ、被告人Bは殺人、死体遺棄の事実で逮捕されたが、この日同被告人は、被告人Aと知り合つたいきさつや、右犯行に加担するに至つた経緯、状況、すなわち、被告人Aに誘われ、その指示に従つてDを連れ出してワゴン車に監禁し、同人に誓約書を書かせるなどした上、同人の体をガムテープ、ロープ等で緊縛し、これを殺害するに至つた経過を供述し、これが調書(乙62・63)に作成され、午後八時一〇分ころ取調べが終了したこと

(10) 翌一八日午後、殺人、死体遺棄の事実について検察官送致等の手続がとられ、勾留状の発付を得て同日午後四時一〇分ころ同被告人を下妻署の留置場に勾留したこと

(11) その後、逮捕監禁、殺人の事実について、詳細にその経過、状況を述べた調書(乙67・68・75等)が作成されるに至つたこと

(12) 同被告人は、前記殺人等の事実で下妻署に勾留された直後ころ、二度ほど犯行を否認したことがあつたが、そのほかは、一一月五日逮捕監禁、殺人の事実で起訴されるまでの間、一貫してこれらの事実を認めていたこと

(13) 右否認の理由にしても、報道陣を目の当たりにして親や兄に迷惑がかかることを思い我慢できなかつたということにあつたもので、取調官の説得により、間もなくその否認を撤回していること

(14) 前記の起訴後も、後記のように、Dの父親宛に謝罪の手紙を出し、D殺害を認めていたこと

(15) 検察官による取調べについても、検察官がメモに基づき具体的に事実関係を質しながら、同被告人の取調べをしており、その過程、取調べ状況等に別段問題とされるべき事情は見当たらないこと(因みに、犯行状況等について詳細を供述している同被告人の検察官調書が一一月四日付で作成されているところ、照会事項回答書(甲346)添付の留置人出入簿の抄本の記載によると、当日同被告人が検察官による取調べのために長時間(一一時間五〇分)にわたつて留置場から出場していたことが認められる。この事実は、上記事実の真実性を強く裏付けるものといえる。)

(16) 同被告人の身柄拘束中、取調べが午後一一時以降に及んだのは、一〇月三一日(午後一一時四〇分留置場入場)と、一一月二日(午後一一時二五分留置場入場)と、一一月四日(午後一一時一五分留置場入場)との三日間だけであり、被告人Aの場合と同様、それ以外の日はすべて午後一一時より前に終了していること

(17) 以上の取調べを通じ、取調官からの黙秘権、弁護人選任権の告知、調書の読み聞け、署名指印等、所定の手続はすべて適法に行われ、終始穏やか、円滑に取調べがなされていたことが認められ、取調官による暴行はおろか、脅迫、偽計、利益誘導等にわたるような言動が存した証拠は全く窺われないことが認められる。

ところで、被告人Bは、公判段階において、取調べを受けた際の状況や殺人を認めるに至つた事情等につき、取調官から暴行を受けたというようなことはなかつた、初日の一〇月一四日の取調べは、今思えば厳しいということはなかつたと述懐しながらも、一四日の夜は食事抜きで取調べを受け、逮捕監禁の事実を認めた後の翌一五日午前三時ころになつてやつと夕食をさせて貰つた、一五日から一九日までは連日午前二時か三時ころまで取調べを受けた、殺人、死体遺棄の事実についてはずつと否認を続けていたが、右事実で逮捕された一七日の午後八時か九時ころ、これを認めた、取調官から「AはBと二人でやつたことは認めているんだから、お前も話せ。」「Aは二人でやつたと言つているぞ。」と何度も何度も言われ、仕方なく認めた、翌一八日には自白を撤回して否認したが、取調べが終わる間際にこれを認めた、その後二一日まで、同じように否認し、自白を繰り返した、否認すると、取調官は机を「バーン」と叩いたり、突然怒鳴つたりした、検察官の取調べでは、警察官が同席していたため、本当のことを言えなかつた、などと供述している。そして、弁護人らは、これらの供述に基づき、同被告人の自白には任意性がない旨主張する。

しかしながら、夕食の点については、取調官U証言によつて明らかなように、同被告人において胸がいつぱいで食べられないと言い出したところから、深夜に食事を取るような結果になつたものに過ぎず、何ら問題とはならないし、取調べがいずれも比較的早い時間帯に終了していること(一〇月一五日は午後一〇時四〇分に、一六日は同九時五五分に、一七日は同八時一〇分に、一八日は同一〇時に、一九日は同八時五〇分に、それぞれ留置場入場)は前記の照会事項回答書(甲346)によつて明らかである。また前記のように、同被告人が一〇月一六日の時点でDを殺害したことを認めた上申書を作成している(前記(8)参照)ほか、一七日の午後八時一〇分までの間に、右殺害の経過、状況を述べた同日付の供述調書が作成されている(前記(9)参照)のであつて、同被告人のこれらの点に関する前記の供述は明らかに客観的事実に反する虚偽、虚構の陳述というほかはない。

また、取調官から被告人Aが二人でやつたことを認めているなどと言われ、仕方なく殺人の事実を認めたとか、自白、否認を繰り返したとか、机を叩かれた云々と供述する点も、前記U、Vらの各証言に照らしてたやすく信用できず、事実を歪曲ないし著しく誇張した供述というほかはない。検察官の取調べの際、本当のことを言えなかつたとの供述も、証人Tの証言に照らしてたやすく信用できない。これを要するに、自白の任意性を争う弁護士らの主張は採用するに由ないものというほかはない。

以上のとおりであつて、前記認定の(1)ないし(17)記載の警察、検察庁での取調べ状況、取調べの時間、自白の経過、時期、供述の一貫性、その他の諸事実を総合すると、Dの逮捕監禁、殺害を認めた被告人Bの自白に、暴行、脅迫、その他任意性に疑いを差し挟むべき事由は全く存しないといわなければならない。

第二  被告人らの自白の信用性

一  被告人Aの自白について

前述のとおり、被告人Aは、捜査の比較的初期の段階から本件各犯行について自白し、その後もほぼ一貫してこれを維持しており、その内容も自然かつ合理的で、詳細を極め、臨場感、迫真性に富んでいる。いわゆる秘密の暴露に当たる重大な事実についての自白も含み、客観的な証拠ともよく符合している。また、D事件については、被告人Bの自白とも基本的にはよく符合している。被告人Aの自白の信用性はこれを認めるに十分である。

以下、これらの点について説明を付加する。すなわち、

(1) 被告人Aは、前述のとおり、任意同行後三日目にしてC、Dに対する殺人、死体遺棄を中心とする本件全事実について自白するに至つている。その経緯も、ごく自然な経過を辿つて事情聴取、取調べが開始され、供述が二転三転する同被告人に対し、取調官において、関係者の供述、その他の客観的資料に基づき、事情聴取を重ね、説得を繰り返すうち、同被告人において、到底殺害等の事実を隠し通せるものではないことを悟るとともに、態度を改め、反省し、自責の念から事実を述べる気持ちになり、自白するに至つたものであることが窺われる。

(2) 自白の内容も、各犯行の経緯、動機、犯行状況、その態様、犯行後の状況等極めて具体的、詳細であり、自己中心的なその動機、大胆な犯行態様等も、同被告人の幼少時からの何不足なく我がままいつぱいに養育されてきた生活環境、性格形成過程を如実に反映したものとして、十分に了解可能なものであり、内容的に自然かつ合理的である。

(3) 捜査の初期の段階においては、その供述に多少の変遷が見られるとはいえ、各犯行の根幹部分についての供述は終始一貫していて動揺はない。

(4) C、Dの遺体は、いずれも、同被告人の供述に基づき捜索が行われ、その指示した場所から発見され、また、後述のように、D殺害の凶器であると認められる出刃包丁(平成二年押第一一号の2)が、同じく同被告人の指示した場所から発見されているが、これらのものの所在についての自白はいずれも、いわゆる秘密の暴露に当たる供述ということができる。もつとも、同被告人は、犯行時(C事件)、あるいは犯行直後(D事件)、現場に居合わせ、死体の存在に気付いていた旨の弁解をしているが、右弁解の採りえないものであることは後に述べるとおりである。因みに、同被告人は、Dの死体が梱包されていると思われる物体が弓田埋立地に捨てられているのを見て、その所在を知つた旨弁済するのであるが、右死体が発見される前日の一〇月一四日の取調べにおいて、同被告人は、外部からは到底窺い知ることのできない、死体がビニールシートで包まれていたという事実をも供述しているのであつて(乙89・94)、これが秘密の暴露に当たる供述であることは、いうまでもない。なお、同被告人は、右梱包物を発見した際、その中身を確認しようとして、これに手を掛け持ち上げようとしてみたが、重くて持ち上げるどころか、動かすことができず、指紋などが付いたりしては大変なことになると考え、包みをそのままにして戻つて来た旨弁解しているところ(「補充書」39ページ)、弁護人らは、その際同被告人において梱包物内のビニールシートの存在をも確認している旨主張しているが、検証調書(甲145)、実況見分調書(甲147)等からも窺われるように、その確認が不可能なものであることは明らかであつて、所論は採用の限りではない。

(5) また、犯行前後等の状況等に関する供述は、臨場感、迫真性に富んでおり、とりわけ、C、Dらが絶命する前後の状況についての供述、すなわち、

「私は・・・・・その倒れたCの首を包丁で刺すか引き切るかした様に記憶していますが、当時は私も必死でしたので良く記憶していない点もあるのです。・・・・・Cにとどめを刺そうと思い、Cの顔を深さ三〇センチメートル位の水たまりに沈めました。・・・・・Cの口だつたか鼻だつたか、ほんの少しあぶくの様な物が出た様な感じだけで、続けてあぶくが出る様な事もなくCの身体も動きませんでしたので、Cは死んだと思いました。」(一一月一七日付検察官調書。乙41)「(ガムテープを)鼻の穴が塞がるように貼つたのですが、鼻と鼻の下に段差があり、多少すき間が出来てしまい、Dは、シューシューと言うような感じで息をしていたのです。・・・・・両手で鼻と口のところを上から強く押さえガムテープをぴつたり貼り合わせて窒息させようとしたところ、Dは呼吸が出来なくなつてしまい、・・・・・苦しみ出し、もがきながら、顔を左、右、上下に動かしたり、・・・・・ひざのあたりから下をさかんに動かし苦しんでいたのです。・・・・・力いつぱい首を絞めていると、Dはぐつたりし、体は動かなくなつてしまつたのです。するとDの鼻のところに貼つたガムテープの隙間からうつすらと血がにじんできたのです。」(一〇月二六日付警察官調書。乙21)

などの各供述は、実際に体験した者でなければ供述することができない真実性に溢れた内容となつている。

(6) D事件については、被告人Bが犯行に加担するに至るまでの経緯、逮捕監禁の経過、状況はもとより、殺害現場での被告人両名の役割分担、殺害状況等についての供述は、被告人Bの供述とおおむね一致しているところ、後に述べるように、同被告人の供述には高度の信用性が認められる。

(7) 被告人Aは、C、Dら殺害、遺棄の犯人は前記の「男達」であるとして詳細な弁解をしているが、これらの弁解は、後に述べるように、不自然、不合理極まりなく、到底信用するに由ないものであつて、このような弁解をすること自体、かえつて同被告人の捜査段階における自白の真実性を動かしがたいものにしている。

(8) その他、同被告人の取調べ時の状況、供述経過、内容等、任意性判断の項において指摘した諸事実も、同被告人の自白の信用性を窺わせるに足りるものといえる。

以上の諸点を総合すると、被告人Aの自白の信用性は、まことに揺るぎようのないものというべきである。

(弁護人らの反論)

ところで、被告人A及び弁護人らは、以上の自白の信用性について、詳細、多岐にわたつて反論しているが、その主張するところは、要するに、同被告人の自白は、その調書や上申書の作成過程に数々の問題点がある上、供述に変遷、動揺が多く見られ、また、内容的にも、犯行の動機、経緯、犯行状況、犯行前後の行動等、非合理的なものであつて、他の証拠と符合しないものもあり、更に、D事件については、被告人Bの供述とも大きく食い違つており、結局は、被告人Aの想像と取調官の示唆、誘導的発問によつて押し付けられた虚偽の自白ともいうべきであつて、到底信の措けるものではなく、ひいては任意性すら疑わしい、というのである。煩をいとわず挙げれば、その主たる言い分は次のとおりである。

(1) 被告人A作成の一〇月一四日付上申書(乙89)に添付されている図面の一枚目には、同被告人らが、D殺害の現場である広場に到着したのが「AM5・30頃」、同人を殺害したのが「AM5・40頃」とそれぞれ記載されているが、このような時刻が供述されるようになつたのは、一〇月一四日より後のことであり(同被告人の一一月一日付警察官調書<乙22>によれば、同被告人がD殺害の時刻を初めて午前五時四〇分ころと供述したのは当日の取調べにおいてである。)、また、右上申書の本文には、午前三時ころ同被告人らがDをその自宅から連れ出した記載があるのに、その直後に作成されたという同日付及び翌一五日付の警察官調書(乙94、29)ではこの時刻が午前一時ころと、更に翌々日の一七日付警察官調書(乙19)では午前三時三〇分ころとなつている。以上のような点から、右上申書が一〇月一四日に作成されたものとは到底考えられず、実際には一一月一日に作成されたものとみるのが相当である。

(2) 同被告人作成の一〇月一四日付(乙90)、一五日付(乙93)各上申書にはそれぞれ二葉の図面が添付されているところ、その一枚目と二枚目を対比してみると、文字や数字の使用が片仮名と平仮名(「シー」と「しー」)、算用数字と漢数字(「10月14日」と「十月十四日」)、片仮名と漢字(「デバ」と「出刃」)と不統一であつて、到底同一の機会に作成されたものとは考えられない。

(3) 一〇月二一日付警察官調書(乙9)には、取調官が被告人Aに一〇月一七日領置にかかる出刃包丁一本を示し、同被告人においてこれがC殺害に使用した凶器である旨述べた記載があるが、当時凶器とされた包丁は鑑定のために茨城県警の科学捜査研究所に送付され、一〇月二〇日から二三日までの間、鑑定に付されていたものである(鑑定書甲358参照)から、一〇月二一日の取調べ時には右出刃包丁を示しうる筈もなく、また右出刃包丁は一〇月一八日の領置にかかるものである(領置調書甲30参照)から、同被告人に示したという出刃包丁は別物とも考えられるのであつて、警察官調書の右記載は甚だ疑問である。

(4) 同被告人の調書には、一連の犯行のそもそもの動機として、高級車シーマの購入や女性との交際に多額の資金を必要とした旨の記載があるが、同被告人はそれほどシーマを欲しいとは思つていなかつたし、同被告人自身、当時相当の収入があり、女性との交際費などにも窮するようなことはなかつたものである。

(5) 同被告人において、真実、クラウンを全焼させたり、CやDを殺害したのであれば、(ア)C殺害の直前、Wらにクラウンを全焼させて保険金を手に入れるなどという話を持ちかけたり、(イ)Cとの待ち合わせの時刻を同人殺害の数時間前に当たる八月八日午後五時半ころと指定したメモを同人方に置いて来たり、(ウ)同人を殺害した後、その死体を同被告人方の残土ストック置場に埋めたり、(エ)返り血を浴びたままの状態で犯行現場からX方に直行し同人らと会つたり、(オ)その後自分の後輩を使い、Cの母親を脅迫したり、(カ)Dの死体を同被告人方のマットやビニールシートを用いて梱包し投棄したり、(キ)同級生と一緒になつてDの父親を脅すチラシ等を作成して撒布したり、(ク)D殺害後、同人の着けていたネックレスを同人から盗つたものだと言つて同級生にプレゼントしたりするなど、犯人が被告人Aであることがすぐ露見する、以上のような言動に及ぶ筈はない。

(6) クラウンへの放火の主体、方法、C殺害の方法、Dを自宅から連れ出した時刻、その殺害場所、時刻等について、被告人Aの自白に変遷がある。

(7) 恐喝未遂事件については、被告人Aが被害者らに対し、当初、具体的な要求金額を示していない点や、誓約書(前同押号の9はそのコピー)記載の金額が予定していた要求金額に見合つていない点は不自然、不合理である。

(8) 調書上は、被告人Aらが下妻市内のガソリンスタンドでガソリンを購入し、午前一時すぎころ車両放火の現場である農道上に到着し、そのころ(午前一時一〇分ころ)ガソリンに点火してクラウンを全焼させたとされているが、右ガソリンスタンドから放火現場に至るまでの距離、所要時間等にかんがみると、右時刻における点火は不自然、不合理であるばかりでなく、クラウンの火災が発見された時の焼毀状況等から考えても、その時刻の点火はありえないことである。右ガソリンへの点火は、消防署員の推定どおり午前二時一二分ころとみるべきであり、真実は、同被告人が公判廷で供述しているように、同被告人がX兄弟に会つていたころ、Cを殺害した「男達」がクラウンに放火したものである。

(9) Cの遺体の後頚部にある損傷や腰背部にある創等は同被告人の供述と符合していない。その殺害時、犯人において相当の返り血を浴びていると思われるのに、同被告人の着衣等にはそのような返り血は付着していない。また、その際同被告人が使用したとされる出刃包丁からは血液反応は見られず、これが犯行に供されていなかつたことは明らかである。

(10) 被告人Aの調書によると、同被告人は、一方で、他の人を誘つてやるとばれ易いので、自分独りでやることを考えたと述べているところ、他方では、被告人Bを共犯者として誘い込んでD事件を行なつたと述べており、その供述に矛盾が見られる。

(11) 被告人Aの調書によると、D殺害当時の午前零時ころ、同被告人方に到着した後、被告人Bと二人で二時間余もドライブをしたり、「Y31」の車(日産セドリック)に乗つている男や独り住まいの男を捜すなどしているが、被告人らが当初からD殺害を企図していたのであるならば、このような行動に出るのは不自然であつて、即時これを実行に移す筈である。また、被告人Aは「Y31」の車に乗つている男を捜したりするのに後輩達に案内させたりしているが、その供述どおりDの代わりに同人らを本件の標的として狙つたものであるとすると、もしこれを捜し当てて実行した場合、右後輩達の口から事が露見することは明らかであつて、常識では理解しがたいことである。

やはり、被告人Aが弁解するように、「男達」との間に、午前六時にDを引き渡すという約束がなされていたところから、それまでの間、被告人Bに乞われるまま、ドライブをしたり、Dの代わりとなる者を捜したりしていたものと考えるのが自然である。

(12) Dを自宅から連れ出した後、被告人AはDに車の件で話し合つている旨自宅へ電話を入れさせているが、このことから足がつくかも知れず、また、Dが助けを求める行動に出るかも知れず、被告人らにとつては極めて危険な行為であり、被告人ら自身の判断で電話をさせたものであるとすれば不可解の極みというべきである。このような行為も、「男達」の指示、命令に従つたものと解して初めて説明が可能となる。

(13) Dの両手首の縛り方について、被告人Bは、両手掌を合わせるようにしてガムテープで縛つた旨供述しているところ、被告人Aの調書には、両手首がガムテープで互い違いに巻いてあつた旨記載されている。これは、同被告人が取調官から遺体の手首の制縛状況に一致するように供述させられた結果である。

(14) 被告人Aの調書によると、Dの首を両手で絞めて殺した(扼殺)となつているが、その鑑定書(甲356)によると、死因は「頚部圧迫による窒息(絞死)」とされていて、右調書の記載との間に明らかに矛盾が見られる。

(15) D殺害の直後、被告人Bが車外に出て行つた際の状況についての被告人らの供述には矛盾、齟齬がある。

(16) 午前五時四〇分ころから同五時五五分ころまでの僅か一五分の間に、過去に腰を傷め体も万全といえない被告人Aが、独りでDの死体を梱包し、更に埋立地出入口に張り巡らされた金網(フェンス)を切断して穴を開け、埋立地にこれを投棄するなどということは到底不可能なことである。

(17) 梱包したDの死体を運び入れるために開けたとされる弓田埋立地出入口脇の金網の穴の大きさは、最も高いところで一・二メートルであるから、被告人Aの調書にあるように、長さ一・二四メートルもある右梱包物を一回転させて右穴から埋立地内に運び入れるのが果たして可能か、疑問である。

(18) Dの死体を投棄した後、針金やその切れ端、ガムテープの芯、段ボール箱などを処分した件について、被告人Aは、養鶏場の近くの道路沿いの所に捨てた旨供述し(乙24・51)、被告人Bは、その帰途、走つているワゴン車の中から農道脇の雑草の生えている所に捨てた旨供述する(乙73・75)など、被告人両名の供述には大きな開きが見られ、不自然である。

(反論に対する判断)

しかしながら、以下に述べるとおり、取調官の措置に誤解を招くおそれのある軽率な面もあり、また、被告人Aの記憶に混乱、動揺、変遷等が存在するなど、一部所論にそう部分があるにせよ、本件に表れた積極、消極一切の証拠を対比、総合して検討する限り、弁護人らの主張は到底是認しがたいものであり、採用の限りではない。以下順次説明を付加することとする。

(1)について

まず、被告人Aの一〇月一四日から一一月一日までの供述の経過を概観すると、確かに一〇月一四日の時点においては、判示の広場への到着時刻やAの殺害時刻についての同被告人の記憶はまだ十分に喚起されるに至つていなかつたことが窺われる。一方、同被告人の一一月一日付の調書(乙22)には、広場への到着時刻は午前五時三〇分ころであつたとの記載のほか、Dを殺害した時刻を初めて午前五時四〇分ころと認めた記載、更にこれらを上申書に書いて提出する旨申し立てた記載がある。そこで弁護人らは、上申書の添付図面への時刻の記入が一一月一日になされたものであることは明らかであるから、右上申書は一一月一日に作成されたものであると主張するのである。しかし、更に検討すると、右記載部分は、インクの濃淡や文字の形状等明らかに他の部分と相違しており、後で挿入されたものであることは否みがたいところである。そして、Dの連れ出し、広場への到着、その殺害、死体遺棄等の時刻の点に関する供述の経過にかんがみると、右時刻の挿入は、一一月一日の取調べの際に、新たな上申書の作成に代えて便宜採られた措置と考えられる。いずれにせよ、上申書自体は、その日付どおり一〇月一四日に作成されたものと認めるのが相当である。もとより、このような事後の挿入は、誤解を招くおそれがあり、軽率のそしりを免れないものであるが、未だ上申書そのものの信用性を阻害するものとはいえない。

なお、Dを自宅から連れ出した、その時刻の点については、当時被告人Aにおいて、やつとその犯行について自供をし始めた段階で、記憶が混乱していて、行きつ戻りつしつつ供述する時期にあつたことを考えると、上申書の「午前三時頃」という記憶も、弁護人らの主張するほどに問題となるものではない。

(2)について

弁護人らの指摘する上申書添付の各図面を検討すると、同一図面の中においても、「シー」と「しー」、「シー」と「C」、「デバ」と「出刃」などと、文字の雑多な使い方がされていることが一目瞭然であるところ、弁護人らの指摘は、その一部分のみを取り上げ問題とするものであつて、到底採用の限りではない。

(3)について

確かに、鑑定期間中に当たる一〇月二一日付の調書に、所論の出刃包丁を被告人Aに示した旨の記載がある。しかし、書類上は鑑定に着手したとされているのに、実際には、その鑑定資料が後日送付されるということも実務上ありうることであり、また、鑑定期間中といえども、捜査の必要から部内において便宜その鑑定資料を借り出し、被疑者等の取調べの際にこれを使用するということも十分考えられるところであつて、本件の場合、そのいずれかの措置が採られたものとみるのが相当である。本件において、同被告人が自ら犯行に供したと述べる出刃包丁について、取調官が同被告人からその確認を取らなかつたなどということは到底考えられず、また、敢えて事実と異なる日をその確認の日としなければならないような事情も全く認められないのである。この点に関し、前記Pは、鑑定のために出刃包丁を送付する前に、同被告人にこれを示した旨証言しているが、これは、本件において、前者の措置が取られたことを裏付ける証言と見ることができるが、三年近くを経た後の証言で記憶も薄れていることを考慮に入れると、右証言は通常のケースが念頭にあつて述べたものと考えられる。いずれにせよ、前記の調書の記載に疑義があるということはできない。

なお、右出刃包丁を領置した日が一八日であることは証拠上明らかであり、一七日との記載は単純な誤記と認められる。

(4)について

Y子(甲264)、Z(甲257)、A’(甲265)、B’(甲273)、W(甲253)、C’(甲254)、D’(甲267)、E’(甲268)、Q(甲289)、E子(甲245)の各証言、被告人Aの検察官調書(乙37・38)、警察官調書(乙2ないし5)、F’子の検察官調書(甲203)、その他関係証拠によれば、当時被告人Aは、クラウンに飽きてシーマが欲しくなり、何とかこれを購入したいものと思つていたこと、同被告人には臨時に多額の収入もあつたが、金使いが荒く、サラ金にまで手を出す始末で、余裕はなかつたこと、女性との交際にも出費が相当嵩んでいたこと、このような事情から、同被告人において相当多額の金員を捻出する必要に迫られていたこと、そして、そのころ、クラウンに掛けられていた保険金に目をつけ、何とかこれを手に入れることができないものかと考え、友達などに相談を持ちかけるなどし、このような経過を辿つて判示第四の犯行に至つたことが認められる。弁護人らは、シーマの購入申込みをキャンセルし、クラウンを購入している事実からも明らかなように、被告人Aのシーマ欲しさはそれほどのものではなかつたというが、その購入の申込みをしていること自体、同被告人のシーマ欲しさを物語るものであり、これがキャンセル等も、そのいきさつにかんがみると、そのシーマ熱をいささかも減ずるものではない。また、弁護人らは、クラウン(約六二〇万円)を全焼させて保険金(四八〇万円)を手に入れるというのは間尺に合わないというが、それは同被告人の親について言えることであり、同被告人にとつては少しも痛痒を感じるところではない。このことは、同被告人の家庭内におけるそれまでの様々な言動に徴すれば、極めて明らかなことである。同被告人にしてみれば、保険金が手に入るほか、Cの親からも種々の名目による賠償金を手に入れることが可能となるのであつて、まさに一挙両得で、同被告人はこのような点に目を着け、犯行を決意するに至つたものと考えるのが相当である。更に弁護人らは、C方の財産状態を調べもせずに、同人を標的に選ぶというのは不自然、不合理であるというが、同被告人の要求する金額は、Cの生命にも関わるその脅迫内容等にかんがみると、その資力如何にかかわらず、被害者側においてこれに応ずることが十分に予想されるところのものであり、現に、Cの母親は、同被告人の言うところが本当のことであれば、土地を売るなり他から借財するなりして支払おうと考えていたことが窺われるのであつて、到底、財産状態を云々するような問題ではない。

(5)について

関係証拠によると、被告人Aは、これまで交通事故の偽装や数々の強引な恐喝まがいの行為によつて賠償金を取得したり、クラウンを盗まれ、全焼させられたという自分の作出した架空の出来事を消防署員や警察官らにまことしやかに、理路整然と説明し、これを信じ込ませて多額の保険金を受領したりして来ており、「証拠さえ残さなければ捕まることはない。」、「死体さえ見つからなければ捕まることはない。」との強い信念と、他から疑いを持たれるような言動については、いかようにも説明して言いくるめることができるとの自信に基づいて行動していたことが窺われるのであつて、このような同被告人の信念、信条、行動傾向等にかんがみると、所論の指摘する(ア)ないし(ク)の諸事実も何ら不自然、不合理な行動ということはできない。同被告人において、Cらの死体を遺棄した後、その発覚を危惧し、現場へ確認に行くなどしている事実も認められるが、これらの事実も、「死体さえ見つからなければ捕まることはない。」との前述のような同被告人の信念、自信をいささかも揺るがすものではない。なお、付言すると、(イ)の点については、同被告人自ら、Cが殺害される直前ころ同人と会いクラウンの所在を質した旨関係者に言い触らすなど、より犯行に近い時点におけるCとの接触を明らかにしているのであつて、メモによる待ち合わせの問題などは言うに足らず、(エ)の点についても、同被告人において泥まみれの状態になつており、返り血を浴びていても識別がつかないほどであつたこと、同被告人自身もそれほど返り血が付いているとは思つていなかつたこと、しかも同被告人は、アリバイ作りのため早くX方へ行く必要もあつたこと、同人方では、Cがクラウンを盗んだので同人を捕まえ、「ぶつ飛ばして来た。」と述べており(第一一回公判調書中の証人Xの供述部分)、多少血痕らしきものが付着していても別段怪しまれる状況でもなかつたこと、が認められるのであつて、犯行後同被告人がそのままX方に直行したことも合理的に説明がつくものである。また、(ク)の点については、常識的には理解に苦しむところであるが、同被告人の行動を単に表面的、外面的に捉えることなく、前記のような信念、行動傾向等同被告人の内面的な部分へも目を向け、総体的に考察すると、十分に理解可能な行動ということができる。弁護人らは、このような行動を避けるのは犯罪者の心理であり、同被告人のいう「男達」が真犯人であるからこそ、同被告人においてこのような行動に出られたものであると主張するもののようであるが、同被告人の弁解によれば、真犯人が「男達」であつたとしても、Dの死体は同被告人方のマット、ビニールシートで梱包され、またCの死体は同被告人方の残土ストック置場に埋められていて、一旦これが発覚すれば、一連の犯行が自己の犯行としてその刑責を免れえない状況にあるというのであるから、その点では同被告人の犯行であれ、「男達」の犯行であれ、その間に径庭はなく、「男達」が真犯人であるからということでは到底説明がつかないのである。この(ク)の事実は、他人の思惑など全く意に介さない同被告人に対し、所論の一般論、常識論が当てはまらないものであることを如実に示すものということができる。

(6)について

確かに、被告人Aの自白に所論のような変遷が見られることも事実であるが、Dの連れ出しや殺害等の時刻の点については、犯行前後の状況についてまだ記憶が整理されておらず、混乱していた時期における供述であることにかんがみれば、やむをえないところであり、その余の点についても、犯行自体は認めるにしても、供述者の心理として、当初は、その手段、方法等について、できるだけ自己に有利に述べようとし、また、残酷な印象を与えることをできるだけ避けようと考えるのもごく自然なことであつて、この点についてのその後の供述の変遷は特に問題とするほどの事柄ではない。

(7)について

恐喝事犯においては、周知のように、相手の出方、対応の仕方如何によつて喝取可能な金額を具体化して要求し、また、名目的な誓約書を楯に、より多額の金員を喝取するというのがその常套手段であつて、このような実体にかんがみれば、所論は到底採用の限りではない。

(8)について

X(甲269)、G’(甲270)、H’(甲271)の各証言、被告人Aの警察官調書(乙7)、検察官調書(乙41)、I’(甲78)、J’(甲79。ただし不同意部分を除く。)の検察官調書、K’の警察官調書(甲77)、捜査報告書(甲40・49)、実況見分調書(甲82)、その他関係証拠によつて認められる、(ア)被告人Aは、クラウンへの放火現場である農道に到着した時刻を一応午前一時過ぎころ、残土ストック置場に到着した時刻を午前一時一五分ころと、それぞれ述べているところ、その記憶はかなりあいまいであつて、実際は、証拠上明らかなガソリンスタンドでのガソリンの購入時の時刻が午前零時四六分ころであること及び同所から放火現場である農道までの距離が約二五・〇五キロメートル、右農道から残土ストック置場までの距離が約二・六キロメートルであることからすると、右農道、残土ストック置場への到着時刻はそれぞれ更に後の時刻になるものと思われること(法定速度に従う限り、前者の所要時間は三六分五三秒、後者のそれは四分四五秒である。)、(イ)これに加えて、X方は右残土ストック置場から一・三五キロメートルの所にあり(前同所要時間は三分三秒である。)、これら農道--残土ストック置場--X方への場所の移動にはものの数分もあれば十分であるところ、同被告人は午前二時ころX方へ到着していること、(ウ)同被告人が残土ストック置場に到着し、隙を見てCに切りつけ、これを殺害するまでの間、実際にはそれほどの時間を要したものとも考えられないこと、(エ)農道の近くに住むK’は、既に午前二時ころクラウンが炎上しているのを目撃していること、(オ)その際及びそれに引き続く消火の際、並びに午前二時二四分ころその現場に駆けつけた消防士らが目撃した際の車両の炎上、燃焼状況、更には鎮火時の車両の燃燬状況等、(カ)また、夜間と日中とでは、これを見る者の炎燃状況に対する印象も大きく異なるものであることなど、以上の諸事実に、燃焼の実験結果(本件のクラウンの火災時と右実験時とでは気温、湿度等気象条件や対象物件たる車両自体の諸状況に違いがあり、その実験結果はこれに左右されるものであることは言うまでもない)をも合わせて考えると、クラウンへの点火時期を午前一時一〇分ころとする検察官の主張にはいささか無理があるというべきであり、その時期をこれより二〇分前後を経た午前一時半前後ころと認めるのが相当である。その限りで同被告人の前記供述は不正確であると言わざるを得ないが、もとよりこれによつて同被告人の供述の信用性はいささかも揺らぐものではなく、アリバイの主張も到底採用の限りではない。

(9)について

Cに出刃包丁で切りつけた際の状況等について供述する被告人Aの調書を仔細に検討するも、その記憶に特段不自然、不合理と思われるような点は認められず、おおむね鑑定書(甲355)、解剖立会結果報告書(甲20)の記載とも符合している。被害者を殺害するに至るまでの過程において自己のなした個々の行為の手順やその結果である傷害の部位等について、同被告人の記憶に一部あいまい、不確かな部分も存するが、殺人という犯行の内容、その手段、方法、被害者の抵抗等、犯行時の状況にかんがみれば、むしろ当然のことというべきである。弁護人らは、計画的な犯行であるならば、行動が冷静で、殺害状況についての記憶も正確な筈であるなどと主張するが、非現実的、皮相的な見解というほかはない。また、弁護人らは、同被告人が犯行時の状況について、一部具体的、詳細に述べている点を捉え、同被告人において犯行時興奮状態にあつたなどとは考えられない旨主張するが、一連の行為、事象について、事柄により感銘の度合いが異なり、その記憶に精粗の差が生ずることがあるのもまた理の当然であつて、これを論難するのは一面的、観念的にすぎる。

なお、Cの遺体の左腰背部にある長さ八センチメートルの創について、解剖立会結果報告書には「創洞の深さ二〇センチメートル内外」とあり、鑑定書には「浅い創」とあつて矛盾が見られるが、右の解剖、鑑定には同じ医師であるL’、M’の両名が関与しているのであり、何ら根拠なくして「創洞の深さ二〇センチメートル内外」なる記載をなしたものとは考えられないこと、前者の解剖立会結果報告書は平成元年一〇月一六日に作成されたものであるところ、後者の鑑定書は同四年六月二三日と、解剖時からかなり日月を経た時点において作成されたものであることなどの事情にかんがみると、解剖立会結果報告書の記載の方が正確であると認めるのが相当である。この点に関し、証人L’も、創の深さについては記憶がなく、書類上は鑑定書の記載の方が正しいと証言するにとどまつているのであつて、積極的に右認定を揺るがすまでには至つていない。してみると、出刃包丁がCの腰の辺りにズボッという感じで刺さつたとの同被告人の供述も、右の客観的な事実ともよく符合することとなり、何ら不自然な供述とはいえない。また、C殺害の際、同被告人の着衣、身体等に多量の返り血が付着しなかつたとしても、不自然、不合理ではないこと、前記の押第一一号の2の出刃包丁からは血液反応が見られなかつたが、これを本件で使用された凶器と断定するに何ら支障はないことなどは、右証人L’、証人N’の各証言から明らかである。

(10)について

被告人Cが他県(埼玉県)の人間で、被告人Aの友人、知人等関係者らと全く面識、交流がない者であることからすれば、被告人Aが同Bを共犯者として選んだからといつて、被告人Bの口から事が発覚する虞れは極めて少なく、この点に関する被告人Aの供述に、実質的に矛盾があるということはできない。

(11)について

被告人Bの調書や実況見分調書(甲140)によると、同被告人は、午前零時ころ被告人A方に到着し、ワゴン車に段ボール箱を積み込んだ後、同所から最初D方へ行つたが、同人が不在であつたためか引き返し、ドライブをしたり被告人Aの後輩達の家を訪ねたり、「Y31」の車に乗つている男達を捜し回つたりし、午前四時過ぎころ再度D方へ行き、同人を連れ出した旨供述しているところ、被告人Bにとつては初めて訪ねた目的の家で、印象もことのほか深かつたものと思われるほか、供述内容も具体的で、Dが不在のため再度訪ねた状況を繰り返し述べており、記憶違いとも考えられないこと、一方、被告人Aは自宅から直接D方へ行つたとの記憶はない旨述べているが、決してこの事実を否定しているわけではなく、一〇月二〇日付の検察官調書(乙48)では、同被告人方でワゴン車に段ボール箱を積み込んだ後、間もなくD方に向かつて出発した旨供述していること(なお、乙49の調書でも、「段ボール箱を車に積んでD方に向かうことになつた。」旨供述している。)、同被告人自身はなぜドライブをすることになつたのか、その理由は覚えていない旨述べていること(乙54)、などの事実に照らすと、最初にD方に行つたが、同人が不在であつたためか(あるいは、同級生を殺害することにためらいを感じ、その実行を先に延ばそうとの心理が働いたとも考えられる。)引き返し、後刻再度同人方へ行つたとの被告人Bの前記供述は十分に信用することができるというべきである。そうであれば、被告人らにおいて暫くの間、ドライブをするということも十分頷けることであつて、それほど不自然な行動ということはできない。また、「Y31」の車に乗つている男を捜すなどしたとの点も、Dが同級生であるところからためらいが生じたという趣旨の被告人Aの供述から十分に説明がつくことである。なお、犯行露見の点については、そもそも「Y31」の車に乗つている男を捜すなどということは、被告人Aのその場の思い付きにすぎないもので、深い考えに基づくものではないから、特に理解しがたいというほどのことでもなく、仮に、同被告人において、「Y31」の車に乗つている男達を捜し当て標的にしたとしても、前記の弁護人らの反論(5)に対する判断の項で述べたように、その死体さえ見つからないように始末してしまえばいかようにも言い繕うことができるという自信を持つている同被告人にとつては、理解しがたい行為ということはできない。かえつて、同被告人の弁解するとおり、「男達」との間に、午前六時にDを引き渡す約束があつたというのであれば、何故に前夜から被告人Bと落ち合い、長時間にわたつて時間潰しをする必要があつたのか、しかも、数時間にわたつて同被告人と行動を共にしているのに、何故に午前六時にそのような約束があるということを同被告人に告げなかつたのか、甚だ疑問というほかはない。いつDを男達に引き渡すのかということは、同被告人にとつて最大の関心事である筈である。

(12)について

Dが行き先も告げずに、家族の者が就寝中、パジャマ姿のまま外出していることからすれば、同人からの電話は、かえつて家族の者を安堵させ、その帰宅を待つ気持ちを起こさせ、一時的にその捜索を延引させる効果をもつ(そのため、捜索願いが出されたのは翌日の午前九時となつている。)上に、同人がクラウンへの放火にかかわつていたことを本人自身の口から家族の者に予め知らせておくことによつて、その後の恐喝行為をより効果的に実行しうるメリットがあるものであり、また、当時Dが電話で家族の者に助けを求めうるような状況ではなかつたことも優に窺われるところであるから、不可解な極みともいうべき電話であるとの弁護人らの主張は到底採用しがたい。

(13)について

Dの両手首の制縛状況について、両被告人の供述に食い違いの存することは弁護人らの主張するとおりであるが、しかし、被告人Bは、当初被告人Aから指示されて、掌を合わせるような状態にして両手首をガムテープを巻いて縛つたというものであり、被告人Aは、殺害直前、車内の倒されたシートの上にDが仰向けの状態で縛り付けられていた際、同人の両手が胸の上辺りで互い違いになるようにして重なり、その手首と手首が重なつているところにガムテープが巻かれていたというものであつて、両者は異なる時点における手首の制縛状況について供述するものであること、この間被告人らは、誰がどこをということは定かではないが、Dの身体の各所を執ように縛り付けていること、取調官が被告人Aの遺体の状況に合わせて供述させたのであれば、被告人Bに対してもこれに合わせて供述させるのでなければ、かえつて不自然、不合理な供述となること、被告人らの各調書の全体を通じて、取調官らにおいて被告人らの供述を忠実に調書化していることが窺われること、などの諸事実にかんがみると、手首の制縛状況がどのような経過を辿つて前記のように変わつたのかは証拠上明らかではないが、特段その変わりようも異とするに足らない。

(14)について

Dの死因が「頚部圧迫による窒息」であることは争いがなく、鑑定書を作成した前記L’の証言によれば、死体の頚部に扼痕は認められず、頚部をほぼ一周する索溝が存したところから一応絞死と判断したが、右索溝が生前に付いたものかどうかについては、皮下、皮内出血の存在が確認できなかつたため判断できず、しかも、扼痕はもともと非常に見えにくいものである上に、必ずしも付くわけのものでもないところから、厳密には、本件は絞死とも扼死とも断定しがたいものであることが認められる。したがつて、扼殺したとの被告人Aの供述も、所論の鑑定書の記載と矛盾するものではない。弁護人らは、鑑定書によつて積極的に扼殺によるものと断定することができない以上、検察官による立証は尽くされたものとはいえないと主張するもののようであるが、まことに理解しがたい主張というほかはなく、その主張の取りえないものであることは多言を要しない。なお、弁護人らは、「首から両膝の内側に通し、両膝をかかえ込んでいるような恰好になるように縛つた」との被告人Aの供述するロープの掛け方からは、「頚部をほぼ一周する」索溝は生じない旨主張するが、同被告人は、Dの頚部にどのようにロープを掛けたかについて、具体的な供述はしていないのであつて、その供述を一義的に解し、ロープは頚部を一周していないとして、右のように結論付けるのは即断にすぎるというべきである。

(15)について

被告人Bの上申書(乙80)を含め、被告人らの各調書を総合して考察すると、被告人Bにおいて、Dが絶命する様を目の当たりにして強い衝撃を受け、更にこのような犯行に手を貸したことへの恐ろしさからその場に居たたまれず、車外に逃げ出したが、その直前、被告人Aがロープ等でDの死体を緊縛するに際しては、同被告人から指示されるままに、Dの両腕を持ち上げるなどして手を貸していたこと、一方、被告人Aは、被告人Bの怯える姿を見て、途中から同被告人に暫く外に隠れているよう指示したこと、などの事実が認められる。被告人らの供述に何ら齟齬、矛盾は認められない。Dを殺害した後は被告人Aの手伝いをしていないので、死体をどのように包んだりしたのかは分からないとの被告人Bの供述(一一月四日付検察官調書)も、その後の死体の梱包については手を貸していないという趣旨のものと考えられるのであつて、ここにも何ら齟齬、矛盾は存しない。

(16)について

午前五時四〇分といい、同五時五五分といい、これらの時刻は、もともと被告人Aが、殺害現場である広場に午前五時三〇分ころ到着したものと推定し、これを前提に、殺害、梱包、金網切断、死体遺棄の各作業に要する時間を同被告人なりに推測して割り出し、供述したものであつて、決して客観的に不動、確定した事実ではない。したがつて、これを不動の事実として、その時間内に右各作業を行うことが不可能であるとする所論は、そもそもその前提に誤りがあるというほかはない。のみならず、同被告人がその思い通りに死体を梱包し、これを投棄する一連の作業は当初からの予定の行動であることにかんがみると、多少の時間のずれは生ずるにしても、広場到着後二五分前後の時間内でこれらの作業を行うことも、それほど困難なものとは考えられない。同被告人の当時の体調等もこれを不可能とするほどのものとは到底考えられない。なお、死体の投棄については、同被告人において、被告人Bの協力を得ようと考えていたところ、同被告人が怯えてしまい、これに応じなかつたことから、やむなく単独でこれを実行したものであることは、被告人Aの調書(乙21)上、これを窺うことができる。いずれにせよ、弁護人らの主張は到底採用の限りではない。

(17)について

被告人Aの供述調書によると、同被告人は、カッターで金網を地面すれすれに切断することができず、そのため切断部分(穴の下辺部分)は地面から約一三センチメートルもあるというのであるから、右穴の上辺部分も地面からはその分だけ高くなり(地上約一・三三メートルとなる)、金網の伸び縮みを一応度外視してみても、長さ一・二四メートルの梱包物を通過させることは可能と考えられるのであつて、所論はそもそもその前提において誤りがあるというほかはない。

(18)について

調書上明らかなように、針金等を投棄した件については、被告人ら両名とも、かなり具体的にその際の状況を供述しているが、その内容は全く相反するものとなつている。しかし、それぞれに全く事実無根のことを述べているとも考えられず、また、もとよりこのような事実について敢えて虚偽の事実を述べなければならない必然性も全く存しないことにかんがみれば、被告人Aにおいて、これらの針金等を投棄するため、一応養鶏場の近くに向かつたが、何らかの事情でこれを取りやめ(その一部を投棄したことも考えられる)、その後、被告人Bにおいて、被告人Aの指示により走つているワゴン車の中からこれらをすべて投棄したものと認めるのが相当である。いずれにせよ、このような供述の食い違いは、各供述の任意性や信用性にいささかも影響を及ぼすものではない。かえつて、取調官において、被告人らがその記憶に基づき供述するところをそのまま忠実に調書化していることを物語るものということができる。

その他、弁護人らは、C事件につき、クラウンへの放火を企てガソリンを購入するため下妻市内のガソリンスタンドにクラウンが出入りしたとされる経路、方向、ガソリン代として支払われた紙幣等の種類、ガソリンの入つたポリタンクが車両に積み込まれたその場所等について、関係者の供述と被告人Aの供述との間に食い違いがあるとする点、放火を実行する場所として同級生が近くに居住する辺田の農道を選んだ件、導火線代わりに撒かれたガソリンの痕跡の件、Cの死体の農道への埋め替えの件、D事件につき、ワゴン車の返還の件、失禁痕の件、投棄した死体の死臭の件、その他を本件の争点として挙げ、まるる主張しているが、これらはいずれも、供述者の記憶違いに基づくものとして、あるいはその際の周囲の状況等にかんがみそれなりに理由あるものとして、十分合理的に説明のつく事柄であつて(そのほか、単なる表現上の問題に帰着する事項に関する主張が多い。)、供述の任意性、信用性にかかわるものでないことは多言を要せず、すべて採用の限りではない。

以上のとおりであつて、弁護人らにおいて、被告人Aの自白について信用性がなく、任意性すら疑わしいとして主張するところは、すべて理由がない。

二 被告人Bの自白について

(1) 被告人Bについても、被告人Aの場合と同様、捜査の比較的初期の段階から、同じような動機、経緯のもとに自供を始め、以後ほぼ一貫してこれを維持している。

(2) その内容も、被告人Aから八〇万円の報酬を約束され、その使途についてあれこれ考えた状況や、犯行前夜被告人Aから呼び出され、途中二人でファミリーマートでナイフ、ロープ等を購入するなどし、半信半疑だつたD殺害の話が次第に現実のものとなつて行く過程を目の当たりにし、不安と恐怖の念に駆られて行く状況、そして最早後戻りできない立場に追い込まれ、遂にはD殺害に手を貸す羽目に陥つた状況、更にはその殺害時並びにその前後の状況等、具体的、詳細で、迫真性、臨場感に溢れている。

(3) とりわけ、次のくだり、すなわち、「僕がD君の身体を押さえつけている時に、『うん、うん。』というD君の苦しそうな声がとぎれとぎれに聞こえました。最初D君の両足は上下に少しゆれていましたが、そのゆれがだんだん弱くなり、何分位押さえつけていた時かよく判りませんが、急に『ガクン』という感じで動かなくなつてしまいました。僕は頭の中が白紙のような状態になり、ボッーとして、なおD君を押さえつけていたのですが、A君から『ロープを切つて』と言われて初めて我に返り、押さえていた両手を放しました。・・・・・それから僕はフットレストの上からD君の足を床の上に降ろすため、ちよつと上げたところ、両足がフットレストから外れて、『ブラーン』と、たれるような感じで床に落ちたのです。・・・・・次の瞬間、僕は全身の力がぬけ、顔から血が引くのを感じて、腋の下から汗が出て、手足がぶるぶるふるえて、どうにもなりませんでした。・・・・・僕はその時、人を殺すということはそんなにまで怖いものであるのか、ということが判つたのです。僕はその場にいることができず、車外に飛び出し、広場のはずれに行き、しやがんだり立つたりし、なんとか気持ちを落ちつけようとしましたが、落ち着くことができませんでした。」(一一月四日付検察官調書)の部分は、首を絞められ、絶命寸前の被害者の苦悶の状と、心ならずも犯行に加担し、これを目の当たりにした者の恐怖、衝撃、その心理状態を余すところなく、生々しく伝えるものであつて、まさに、自ら体験した者でなければ到底なしえない供述といえる。

(4) また、被告人Bの犯行に至る経緯、犯行時及びその前後の状況についての供述は、被告人Aの供述ともおおむね符合している。

(5) 被告人Bは、一一月五日殺人罪等で起訴された後、勾留先の下妻拘置支所からDの父親宛に、謝罪の手紙(前同押号の8)を出しているが、その中で、同被告人は「僕とD君は、同じ二一歳であり、この先何十年と人生を過ごせるのが、その半分以下の年でD君の大切な命を無残に奪つてしまいました。・・・・・どんな辛い償いでも自分が犯した罪なのだから心の底から償いを受けたいと思つております。又、これから先、どこに居ても毎月九月一三日には両手を合わせて御冥福をお祈りしながら生活して行きたいと思つております。・・・・・本当に、可愛い息子さんを二一歳の年で僕は、これからの人生を奪いとつてしまいました。・・・・・」旨述懐している。これらは、いうまでもなく、自ら手を下してDを殺害したことに対する心からの詫びと贖罪の決意、心情等を吐露したものであることは文面上誰の目にも明らかであつて、ここには、それまでほぼ一貫して殺害の事実を認めてきた己が自白を撤回する意思など微塵も窺われず、同被告人の前記の自白の真実性を強く裏付けるものというべきである。しかるに、同被告人は、言うに事欠き、公判廷において、この手紙の趣旨は、Dを殺害したことに対し謝罪するというものではなく、同人を連れ出して(監禁したこと)、親分さんに引き渡すという「殺害の原因」を作つたことに対し謝罪するというものである旨強弁している。まことに、鷺を烏というに等しく、牽強付会も甚だしいといわなければならない。

(6) 被告人Bは、公判廷で、被告人Aがロープ等で縛つたDを「親分さん」に引き渡すと言つていた旨供述しているが、これは、いわゆる「男達」がD殺害の犯人であるとの被告人Aの弁解に符節を合わせるものであつて、後に述べるように、「男達」の存在など到底認めうべくもない以上、右公判供述も採りえない。このような供述が、かえつて、被告人Bの自白の真実性を高める結果となるものであることは被告人Aの場合と同様である。

(7) その他、被告人Bの取調べ時の状況、供述経過、内容等、任意性判断の項において指摘した諸事実も、同被告人の自白の信用性を窺わせるに足りるものといえる。

弁護人らは、以上の諸点について種々論難するが、到底判断の限りではなく、以上を総合すると、被告人Bの自白の信用性は、被告人Aのそれと同様、まことに揺るぎようのないものというべきである。

第三 「男達」の犯行であるとの被告人Aの弁解について

被告人Aの弁解の概要は、おおよそ、次のとおりで、

「昭和六三年六月ころ、Nらと偽装の交通事故を起こし、相手方から二〇万円を入手したが、その分け前をNらに支払わずにいたところ、同人がその仲間の「男達」を介して分け前を要求してきた。そして、平成元年七月末ころには、その「男達」から散弾銃を突き付けられ、八月一〇日までに一五〇〇万円を支払うように要求された。八月八日夜Cと会う約束をしていたところ、「男達」が自宅に押しかけて来て、一緒にCと会つたが、その際の翌九日の午前一時二〇分過ぎころ、私方の残土ストック置場で、Cと「男達」との間で喧嘩となり、Cが「男達」に殺された。この後、「男達」は辺田の農道で私のクラウンに放火し、これを全焼させた。そして、「Cを殺したのはお前だと言つて口裏を合わせるぞ。」などと言つて私を脅かした上、Cがクラウンに放火したということにしてその親から金員を脅し取るように私に指示してきた。私は「男達」から指示されるまま、これを実行したが、結局失敗に終わつた。そこで「男達」は、今度はDをその標的に選び、同人を連れ出すよう指示してきた。同じように脅され、やむなく被告人Bと相談の上、九月一三日未明にDを連れ出し、弓田埋立地入口で「男達」にDを引き渡した。後で埋立地に戻つて見たところ、Dの死体を梱包したと思われる包みが棄てられていた。その後、「男達」から「言うとおりにしなければ、C、D殺しはお前だと言つて口裏を合わせるぞ。」と言つて脅され、指示されるまま、Dの両親に対し脅迫を加え、金員を脅し取ろうとしたが、結局これも失敗した。」

というものであるが、そのいきさつ、過程、内容等は極めて詳細、多岐にわたつている。

しかしながら、右弁解は、「男達」の狂気じみた異常な言動や被告人Aへの各種の指示、要求、同被告人自身の不自然、不合理な言動、「男達」への不可解な対応の仕方などなど、全般的に非現実的な内容のものとなつており、到底納得できる筋合いのものではない。関係者の供述とも著しく相違している。以下、その例を示すと次のとおりである。

(1) W方を訪ねたのは、当時「男達」から一五〇〇万円を支払うよう要求され、大金が必要であつたところから、Wらに「クラウンを潰して金を取る。」と言えば(もつたいない話と思い)大金を作る法を教えてくれるだろうと思つたからで、クラウンへの放火を引き受けてくれる者を捜す目的からではない。

(2) Cから「外車に乗つている」ホステスを紹介すると言われ、同女から大金を作る方法を聞き出せるのではないかと思い、八月八日夜一一時半にCと会う約束をした。

(3) その夜、Cが女の子を連れて来たのを「男達」が見て、物凄い剣幕で怒り出したので、女の子が可哀相になり、同女をクラウンに乗せてその場から買物に連れ出した。

(4) 買物から帰つて来ると、「男達」はやにわに女の子を引きずり降ろし、全裸にし、更に針金などで手足を縛り、車のトランクに押し込んだ。その後、私に「少しは付き合えよ。女でも引つ掛けに行こう。」と誘つてきた。

(5) 「男達」からクラウンを貸せと言われ、仕方なく承諾すると、「男達」は、女の子をクラウンのトランクに移し替えた上、乗り出して行つた。戻つて来た時は女の子の姿はなく、「男達」は「埋めて来た。」と言つたので驚いた。また、この時、クラウンのフロントガラスに少しヒビが入つていたので聞いたところ、「男達」は、悪びれる風もなく、「ダンプの石が跳ねた。」と言つたので頭に来た。また、クラウンの助手席の足元の所にガソリンが入つていると思われるポリ容器が置かれ、ガソリンの臭いが充満していたので、尚更頭に来てしまつた。

(6) その後、女の子のことを聞き出すことや、フロントガラスのヒビの件で弁償して貰うことなどを考えながら、「男達」のいる残土ストック置場へ行つた。

(7) 残土ストック置場では、険悪な雰囲気となつており、「男達」からCが責められていた。自分はそれよりも、ポリ容器のことが気になり、「男達」に「ガソリンはどうしたの?盗んで来たの?」と聞いた。また、「ガラスどうするの?」と尋ねた。「男達」はCに「お前がやつたことにしろよ。」と言つた。

(8) 八月九日午後一時三〇分ころ、「男達」から電話があつた時、同人らがクラウンを燃やしたこと、その後でCの死体を埋めて来たことを聞かされた。また、この時初めてC方を脅して金を取るよう指示された。

(9) Cの母親を脅すのは余りにも可哀相で、脅せなくなつた。八月一二日から一五日までは仕方なく脅していた。

(10) 八月三〇日夕方、残土ストック置場で「男達」がCの死体を埋めた箇所を掘り起こしたが、その際、死体が出て来て驚き、誰かにその場を見られたなら大変だと思い、農道を走つて様子を見に行つてきたところ、「男達」から散弾銃を向けられ、「ボン」、「ボン」発砲され、これが物凄い音を立ててトタン塀に当たつた。

(11) 九月一一日午前中、「男達」から、もしかすると、Dの連れ出しが明日になるかもしれないとの電話があつた。初めのうちは断つていたが、「てめえー、ぶつ殺すぞ。」などと一方的に捲くし立てられ、当時陰茎の手術で入院中で、まだ退院できる時期ではなかつたが、入院しているところではなく、適当なことをいつて許可を貰い、昼ころ退院した。

(12) 「男達」からは、Dをよく縛り、目隠しをして連れて来るように指示された。また、友達は絶対に連れて来るなと言われた。

(13) 九月二九日ころには、「男達」の素性を突きとめるために、あてずつぽうに土浦市方面に「男達」を捜しに行つた。

以上列挙したところからも明らかなように、(1)、(2)は到底実現不可能な雲を掴むような話で、被告人Aにおいて、事実そのように考えて行動したとは認めがたいものであり、(3)ないし(7)は、「男達」の狂気じみた行為、被告人A自身のその場の雰囲気、状況と全くそぐわない奇怪な言動等、およそ現実のものとは考えられないものである。また、(8)については、真実そうであれば、被告人AにおいてCの死体の処置について無関心でいられる筈はないのに、C殺害後死体を埋めて来た旨「男達」から知らされるまでの間、約一二時間は残土ストック置場にその確認に出向くこともなく、漫然と時間を過ごしていたことになる。同被告人は、一方で当日午前六時ころC方を訪ねた件につき、Cがもし血だらけで帰つて来て事件になつたら大変だと思い、これを確認する気持ちで行つたとまで述べているのである。その弁解に矛盾を来していることは明らかである(なお、Cが血だらけで帰つて来たら云々という右の供述は、端なくも自己保身のために友人の生命など一顧だにしない同被告人の人間性の一端を窺わせるもので、常人では到底理解しがたいところである。)。更に、午後一時三〇分ころになつて初めて「男達」から金を脅し取るよう指示されたとの弁解も、それより数時間前の午前六時ころから、同被告人においてE子に対し本件の恐喝行為に及んでいることは、同女並びにO’らの証言によつて明らかであつて、到底信用することができない。(9)についても、E子の証言や被告人Aの後輩であるFらの調書からも明らかに窺われるように、同被告人のE子に対する恐喝の手口、態様は、極めて強烈、真しなもので、同女を計り知れない恐怖と不安の境地に陥れたものであつて、到底「男達」の指示に従い仕方なく脅したとか、可哀相で脅せなくなつたなどという類のものでないことは明らかである。(10)は、死体の掘り起こしといい、散弾銃による発砲といい、「男達」の行動の異常さもさることながら、更に、被告人Aにおいてこれに応対し、発覚を恐れて西に東に農道を走り、周囲の人達の様子を見に行つたというのであつて、その不自然、不合理な弁解はとどまるところを知らない。(11)、(12)については、退院できる状態ではないと言つて、どうして断らなかつたのか、また、それまで無神経、無警戒な態度を振る舞つていた「男達」が、どうして、この場合に限つて、異常に神経を尖らせ警戒するなど態度を豹変させたのか、被告人Aの弁明によつては到底納得できるものではない。(13)については、その可能性が零に等しい状況のもとで、まことに信じがたい行動である。ポケットベルで連絡が入つた際に、口実を設けて「男達」と会う機会を作ることもできる筈であり、誰しもそう考えるのがまた自然である。

以上、被告人Aの個々の弁解について検討したが、これら弁解が不自然、不合理極まりないものであることは明明白白というべきである。これらの点については、被告人Aも一応の弁明はしているが、到底是認できるものではなく、かえつて、その弁解の不合理性を露呈している。

弁護人らも、被告人Aの弁解に基づき、同様の主張をしているが、肝心の荒唐無稽ともいうべき不自然、不可解な諸点については、納得の行く説明も適わず、「男達の考え、行動であつて、結局のところ憶測するしか術がない。」旨述べ、その解明を断念しているのである。

ところで、被告人Aの弁解によると、結論的には、Cを殺害した後、「男達」において、同被告人を脅しつつ、その手段、方法等について微に入り細に入り指示を与え、同被告人を介してC、Dの親らから大金を脅し取ることを目論み、四苦八苦していたということになる。しかしながら、このように用意周到で、しかも執念深い「男達」において、何故に、その脅しの標的として最も手つ取り早く、しかも、発覚しにくい上に大金を入手し易い被告人A本人ないしはその親を狙わなかつたのか、甚だ疑問といわざるを得ない。真実「男達」が実在し、大金を脅し取ろうと考えていたならば、まず、その脅し文句を被告人Aないしはその親に向け、これらの者に大金の交付を要求したであろうことは容易に推認しうるところである。危険で回りくどく、しかも大金の入手が不確かな、本件のような行為に及ぶなどということは到底考えられない。以上のような疑問、矛盾は、所詮、「男達」すなわち「被告人A」と解さなければ到底解消されうるものではない。これを要するに、被告人Aの弁解は、結局のところ、問うに落ちず語るに落ちて、本件の一連の犯行が自己の犯行であることを自ら表明したに等しいものというべきである。

第四 結語

以上説明したとおり、被告人両名の捜査段階における自白の任意性、信用性は十分に是認できるものであり、「男達」の犯行あるいはその指示によるものであるとの被告人Aの弁解は到底採用することができない。そして、右自白その他の関係証拠を総合すると、前記の「犯行に至る経緯」並びに「犯罪事実」は優にこれを認定することができる。殺人等の事実について被告人らは無罪であるとの弁護人らの前記主張は到底採用の限りではない。

(法令の適用)

一  被告人A

罰条

第一の行為 刑法一九九条

第二、第七の行為 同法一九〇条

第三、第八の行為 同法二五〇条、二四九条一項

第四の行為 同法二四六条二項

第五の行為 同法六〇条、二二〇条一項後段

第六の行為 同法六〇条、一九九条

刑種の選択

第一、第六の罪 死刑

併合罪の処理 同法四五条前段、四六条一項本文、一〇条(犯情の重い第六の罪の刑で処断)

訴訟費用の不負担 刑訴法一八一条一項ただし書

二  被告人B

罰条

第五の行為 同法六〇条、二二〇条一項後段

第六の行為 同法六〇条、一九九条

刑種の選択

第六の罪 有期懲役刑

併合罪の処理 同法四五条前段、四七条本文、一〇条、四七条ただし書(重い第六の罪の刑に加重)

未決勾留日数の算入 同法二一条

訴訟費用の不負担 刑訴法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

被告人Aについて

本件は、大金の入手を企んだ被告人Aが、自らその所有するクラウンに放火して全焼させ、これに掛けられていた保険金を入手する一方、同級生二人を次々と殺害し、これらを土中に埋没させるなどして遺棄した上、更に、同人らにクラウンへの放火の罪を着せ、その安否を気遣う親から金員を脅し取ろうとしたという、身代金目的の誘拐殺人行為にも比すべき重大なかつ稀有の凶悪事件であるが、

一  一連の犯行の動機は、前記のように、少年院退院後も相変わらず放縦な生活を送つていた被告人Aにおいて、高級車クラウンを所持していながらこれに満足できず、更に他の高級車シーマに目移りし、何とかこれを購入したいものと考えていたほか、当時交際していた女性との遊興、飲食等に多額の出費を余儀なくされていたところから、これらの欲求を満たしうる大金を捻出する必要に迫られていたことにあるのであつて、このような被告人Aの自己本位の身勝手な動機には、もとより、いささかも酌量の余地はない。のみならず、同被告人は、これらの己の物欲を満たさんがため、保険金を騙し取るにとどまらず、恐喝をも目論み、同級生二人を次々と殺害して同人らにあらぬ放火の濡衣を着せ、これを口実にしてその親からも大金を脅し取ろうと企図したものであつて、このような考え自体、およそ何人も思い及ばぬ恐るべき、奸智に長けた発想というほかはなく、しかも、これを平然と実行に移した同被告人の冷酷非情な非人間性、反社会性は他に例を見ないと言つても過言ではない。

二  犯行の態様をみるに、C事件にあつては、以上のような計画のもとに、深夜、中学校の同級生であるCを口実を設けて山中に誘い出し、被告人Aを信頼し、無警戒、無防備状態にある同人に対し、俄に出刃包丁を持つて襲いかかり、その身体各所に刺切創を負わせた上、その頚部を切断して殺害し、更に、その死体を土中深く埋没させたというものであつて、その情景はまさに鬼気迫るものがあり、自己の身勝手な目的のためには級友の生命さえ一顧だにしない、その残虐非道な凶行には、まことに戦慄を禁じえない。のみならず、被告人Aは、その直後から、我が子の安否を気遣うCの母親に対し、前記のように、手を変え品を変え、執ように脅迫を繰り返し、冷酷に大金を要求し続けたものであつて、そこには人間的な情愛の片鱗さえ窺うことができない。なお、保険金を騙し取る事犯は、被告人Aが弁舌巧みに関係者を騙し、大金を手に入れたというものであつて、同被告人の狡猾さ、したたかさを如実に物語る犯行である。

次に、D事件にあつては、Cの母親から金員を脅し取ることに失敗した後、標的を小、中学校の同級生であるDに変え、少年院で知り合つた被告人Bと共謀して、Dを巧みに自宅から連れ出し、全く事情が分からず、まして殺害されるなどとは夢想だにしない無抵抗状態の同人をワゴン車内にがんじがらめに緊縛し、目隠しをさせ、その鼻、口にガムテープを貼り付けて呼吸不能に陥らせた上、その頚部を両手で締め付けてこれを扼殺し、更にその死体を梱包して埋立地に投棄したというものであり、これまたC殺害の場合と同様、残虐極まりない犯行であつて、あたかも虫けらを踏み潰すが如く、その一命を奪い去つた非人間的な所業には慄然とせざるをえない。また、Dの両親から金員を脅し取ろうとした事犯も、Cの母親に対する場合と同様、執よう冷酷にして肉親の情を逆手に取つた極めて卑劣、悪質な犯行である。

三  また、本件の結果もすこぶる重大であつて、殺害された被害者二名は、いずれも当時まだ二一歳の前途ある若者であつて、両名とも犯行を誘発するような落度はなく、単に被告人Aの同級生で面識があり、また、現に交際中であつたという、ただそれだけのことから、その標的にされたものであつて、まことに不運、哀れというほかはなく、その非業の死を遂げるに至つた経過も、突如同被告人に襲われ、他に救いを求める術もなく、言い知れぬ死の恐怖にさらされつつ、苦悶のうちに絶命したものであつて、その無念さは察するに余りある。更にまた、被告人Aから、前述のように執ように脅された上、我が子を殺害されてその変わり果てた姿と対面することを余儀なくされた遺族らの衝撃、苦衷、憤激のほども極めて甚大であつて、到底余人の計り知るところではない。のみならず、被告人Aは公判廷において、遺族らのこのような心情を理解しようとせず、かえつてその心情を逆なでするような不合理な弁解に終始し、遺族らの怒り、憎しみを更に募らせている。もとより、慰謝の途も講じていない。そのため、遺族らの被害感情は極めて峻烈であつて、同人らがこぞつて被告人Aを極刑に処することを望んでいるのも無理からぬところである。

四  また、本件は、同級生連続殺人事件として新聞、テレビ等によつて大々的に報道され、地元住民を震撼させたばかりでなく、一般人にも多大な衝撃を与えたものであつて、その社会的影響も極めて大きい。この点も、本件の犯情として看過することはできない。

五  以上に加えて、被告人Aは、捜査段階においては本件全事実について自白していたものであるが、公判段階に至つて、殺人、死体遺棄、詐欺の各事実について全面否認に転じ、前述のように、本件は「男達」の犯行である旨強弁し、死人に口なしで、被害者らにおいて一言の弁明もなしえないのに乗じて、自己の罪責を免れようとしているのである。このように、同被告人の態度からは微塵も改悛の情を認めることはできない。

六  以上の諸事情を総合すると、被告人Aには少年院送致等の非行歴はあるものの、前科はなく、犯行時は二一歳で社会的にも精神的にも未熟であつたことなど、同被告人のために酌むべき事情を考慮しても、なお同被告人の罪責は極めて重大であるといわなければならない。そして、死刑が、最も冷厳な極刑であり、究極の刑罰であることにかんがみると、その適用においては極力慎重でなければならないが、前述したような罪責の重大性に徴すると、被告人Aに対しては、死刑をもつて臨むほかはないとの結論に達したものである。

被告人Bについて

被告人Bは、前述のように、被告人Aから電話で、Dをさらい、始末して埋めるので手伝つて欲しいなどと持ちかけられ、判示第五、第六の各犯行に加担するに至つたものであるが、これら犯行の罪質、犯行態様、その残虐性、執よう性、結果の重大性、社会的影響等は前述したとおりであつて、本件は極めて凶悪、重大な事犯といわなければならない。その動機も、当時無職で収入がなく、小遣い銭にも窮していたところから、報酬として八〇万円をやると言われ、これに応じたというものであつて、金目当てに殺人の罪を犯すという点において強盗殺人の罪と選ぶところなく、もとより酌量の余地はない。しかも、被告人Bは、従たる立場で加担したものとはいえ、Dを殺害する直前までは主犯を装つて行動し、同人と顔見知りの間柄である被告人Aでは実行不可能な本件一連の犯行を実行させているのであつて、その果たした役割は大きい。更にまた、犯行後の情状をみても、被告人Bは、被告人A同様、捜査段階においては本件を自白していたものであるところ、公判段階に至つて否認に転じ、被告人Aの弁解に惑わされてこれに同調し、遺族の心情など全く意に介さず、自己の罪責の軽減のみを図ろうとしているのであつて、被告人Bについても、反省の態度は全く窺われない。

以上の諸点にかんがみると、被告人Bの罪責は極めて重大であるといわなければならない。

してみると、被告人Bにおいて積極的に本件に加担したものではなく、その犯意もそれほど強固なものではなかつたこと、関与の程度も、監禁の行為については被告人Aに指示されるまま行動したものであり、殺人の実行に際しても、重要な役割を担つたとはいえ、被害者の足などを押さえ付けるなどの従たる行為を担当したものであること、被告人Bには、少年院送致等の非行歴はあるものの前科はないこと、犯行時は二一歳で社会的にも精神的にも未熟であつたことなど、同被告人に有利な諸事情を十分斟酌しても、主文のとおりの刑は免れないものと判断した。

(出席した検察官 和田鎮男・西谷 隆)

(裁判長裁判官 小田部米彦 裁判官 難波 宏)

裁判官 川島利夫は転補のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 小田部米彦)

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